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「らしさ」を抱いて‘社⇆会’で生きる難しさ

唐突だけど、みんな‘らしく’生きることができてますか?
特に、会社で働きはじめた人たちに聞いてみたい。

画一化した中で、都合のいい特徴だけを個性としてすくいあげて「うちは個性を認めてる」と自慢げな顔をするのが会社の在り方なような気が最近してきている。
アイデンティティ、パーソナリティの受容や尊重というよりも、一定規格の範囲内で、元から決まった方向性に誂え向きのユニークを持ち上げて満足しているような。
そこに個性を認めることの本質はない。

そして「社会人とはこうあるべき」の一辺倒だけが武器のくせに、画一化の強制に気付かせないように、その感覚を麻痺させて鈍らせてく。思考を忙殺する。(そもそも社会人ってなんなんだ!私は今までも社会にいたのに、なんで入社した途端にあえてそんなレッテルを貼られなきゃいけないんだろう)
まあ、資本の権力を振り翳され、目を瞑らざるをえない側面も否定できないがそれはそれで問題である。

そんな狡賢さに気づけないと、井の中の蛙になってしまうのではないかという恐怖がいつも潜んでいる感じ。
そして同時に、気付いてしまうことで対峙してしまう杞憂。

是非、他の会社のことも聞いてみて再考と証明をしてみたいと思ってしまう。
私のいる会社は‘らしさを彩る’商品を提供しているはずだし、そこに共感したからこそ私はここにいる。
だけど蓋を開けてみたら、そこで働く人の多くにその気がないようにすら思えてきてしまうこの乖離。
すごくやるせないし、悶々としてしまって昇華する場所がない(だからこんなとこに殴り書く笑)
共有はできても抜本的解決ができない不甲斐なさ。
せめても私は狡賢さに飲まれないでおこうとすることだけで、必死。

とりあえず今日も厨二病と思われてしまうかもしれないけれど、我が人生の師AgustDのStrangeを大音量で聞く。
「狂わないために狂わないといけない」矛盾。
‘らしさ’を守り抜くってのは、私のいるコミュニティではまさにそういうことなんだよな。

取り留めも纏まりもない文章でごめんなさい。
久々に文章が書けて満足です笑

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