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初回

私は、考えすぎてしまう。



パスカルが「人間は考える葦である」という言葉で、人間の思考力の偉大さを述べていたような気がするが、私は考えるという行動によって自分自身を大きく苦しめてしまうことがよくある。

良くも悪くも様々なことについて考えすぎてしまうため、私は自分の頭の中に「ゴミ」をどんどんと溜め込んでしまう。小学生時代に3R(リデュース・リユース・リサイクル)というものを学習した記憶があるが、頭の中のゴミは3Rのように、発生抑制や再利用や再生利用ができるわけではない。稀に有用となるゴミも存在するが、私の頭の中に関しては約99%がゴミという名の通りの使えないゴミである。そのため、ゴミを処理しきれないことによる頭の容量不足が、頻繁に頭痛や涙の発生に繋がってしまっている。



そのような私の頭の中を皆さんに手っ取り早く簡単にイメージしてもらうために、私の学生時代の思い出の一部を話すことにする。

修学旅行のしおりの表紙を版画として彫ったり、ジュースのアルミ缶を脚にして一度座るとぺちゃんこに潰れる椅子を作ったり、粘土を包装していた空っぽのプラ袋を粘土細工で再現したり、リンゴの表面に綺麗な色の絵の具を塗り固めてリンゴが腐る経過を見えないようにしたり、コピー用紙を何重にも糊で固めてそれを削って重量級の殺人紙飛行機を作ったりなど、私の頭の中のゴミは主に学校の美術の授業にて、奇行の一種として「作品」という名前を借りてゴミ箱に投げ捨てられてきた。

ここでは、鳶が鷹を生むのではなく蛙の子は蛙であるという考え方による「ゴミであるお前がゴミを生み出しているだけじゃないのか」という意見には、一切耳を傾けないことにする。

余談ではあるが、これらの作品のほとんどは発表会の後にリアルのゴミ箱に即捨てられていた。



私がどんな人間かは、上記の内容で軽く掴めただろう。ところで、私は現在不定期で配信活動としておしゃべりをしている。

周りの人に「変わったヤツだなあ」という印象を抱かれることには何の不満もないが、単に「怖い」と思われるのだけはごめんだ。そのため、私が奇行を配信中に行ってしまい、それを聞いている人たちがドン引きしてしまうという現象を非常に恐れているため、素の自分を配信の場で出さないようにかなり意識している。ビビって出せないだけだろ、とは言わせない。

しかし、私の頭の中をもっと覗いてみたいという変態(褒め言葉)がいると耳にしたため、非常に申し訳ない気持ちと共に、noteという場を借りて、これからたまにゴミを投げ捨てていくことにする。

私はポエマーではなく、弱音を吐きたいというわけでもなく、頭の中を見せびらかしたいというわけでもない。そもそも、このnoteを書くという作業に考える力を多用してしまうと、普段から考えすぎてしまう自分自身をより苦しめてしまうという自虐になってしまう。そのため、あくまで「ゴミ箱」という穢れている題目で、書く側も読む側も暇つぶし同士である関係性を理想として、適当に更新していくつもりだ。



ちなみに、私が葦であるのは否定しない。

嗚呼