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お気に入りの文庫本みたいな人

「どんな人?」と聞かれると、思わず深呼吸をしてしまう。その人の素敵なところをどう切り取るかが、私の語彙力にかかっている気がして。とても責任重大だ。使い古された言葉はあまり使いたくないという変な意地が顔を出すこともあって、うまく言葉に表せたときは嬉しいし、その人のことを浮かべて頭の中の辞書を全力でめくる。


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先日、母と会話していたとき、身近な人たちをどう形容するかという話になった。私が母のことを「月のような人だと思う」というと、母は一瞬黙り(不満かと思って焦ったが)嬉しい…!と、とても喜んだ。思い返してみれば、母のLINEのアイコンが山を優しく照らしている月だったから、そのイメージが定着していたのかもしれない。でも長いこと看護師として働く母は、誰に対しても丁寧で、人の寂しさや侘しさ、つらさに敏感で、温かい人だと感じていたのもある。父親はあまりしっくりくるものが無くて、残念ながら次へ持ち越しになったが、いったん「亀」で落ち着いたことは彼には内緒だ。なんかごめんね。

私はどう形容されるのだろう。電話を切って考えていた。きっと自分から見る自分と他人から見る自分は違うし、なんか人間的に豊かなイメージであればいい。もしくは、そうあれるように生きたいなと思う。


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Vanessaさんという方をご存知だろうか?語彙力が豊かでよくまぁそんなにぺらぺらしっくりくる表現を思いつくなと思いながら、彼女が何かを更新する度にかかさず見ているのだが。

彼女にはガウディと呼ぶ親友がいる。ガウディさんと出かけたり話したりした日は特にキラキラしているから、いかに親友が素敵で面白い人なのかが伝わってきて良い。彼女はその親友がどういう人かと尋ねられたとき、「お気に入りの文庫本みたいな人」と形容した。「流し読みしていたところをちゃんと読んだら、意外と意味があったとか、時間が経って読んだときの感覚と、そのときの気持ちで読んだときとで感じ方が違う。そういう新たな発見がたくさんある人。」なんて素敵なの。そんな本って絶対手元に置いておきたいし、ずっとずっと大事。そういう心の底にある気持ちさえも読み取れて、おふたりとも全くの赤の他人なのにすごくニコニコした。できたら私も仲間にしてほしい。


でも考えてみれば、私にもそういう友人たちがいた。何気ない日常のあれこれを私はこう感じたと話せば共感してくれ、でもこうも捉えられるよねと議論できる人。あの人ならこうするという「らしさ」も残しつつ、日々進化し続けている人。ふと思い返すと、かけてくれた言葉に込められた別の優しさに気付かされるような言い回しをする人。みんな、とても大事だ。私はそんな大事な人たちをどう形容するか…時間が有り余るから、そうやって一人ぼんやりと考えている夜。



見れるんかな。貼り付けておく。

📷   夏のわたし.       髪伸びんかな(もう

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