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自分の弱さを見つめる話。

自分は割と心に上がり下がりが少なく、淡々ととした印象で見られることが多い。
かくいう私の自己イメージもあまりテンションが変わらずどちらかというと「メンタルは強い方」だと思っていた。

しかし、それは幻想だった。

それに気づいたのは同年代の知人が仕事で成功し活躍していることを知った時。自分はちょうど仕事のモヤモヤでくすぶっていたときとだったので、その差に嫉妬し、落胆したのだった。
そうするとみるみる自分のモチベーションがしぼんでいくのが分かった。


「他人と比べてもしょうがない。自分は自分だ。自分のやるべきことをただやればいいさ!だから上手くいく。」
そう自分の「理性」が「感情」に言い聞かせる。

そんなの分かってる!
でも一向に収まらない。
同じく他人と比べて悩んでいる人がいたら、私だってそう声をかける。
しかし一度暴走した「感情」はなかなか引かない。


「自分の感情って実はこんなに脆いのか・・弱っ!」
それが自分でびっくりだった。

感情の振れはまるで、海の満ち引きみたいに急に満潮から干潮には戻せない。感情の引力は、私のちっぽけな理性では争い難いものだった。


「大丈夫、こんな時の対処法はちゃんと自分で心得ている。よし、本を読もう。」

読書に没頭することで、感情をやり過ごす。
いつからか身につけた私の常套手段である。


Amzonではなくあえてぶらりと近所の図書館に行く。
最近取引先の方と雑談した際「瞑想による内省内観」をすすめていたのを思い出し、「瞑想」と言ったら「座禅?」みたいな安易な発想で図書館の宗教書関連コーナーに足を向けた。

「自分」から自由になれる沈黙入門 (著:小池龍之介)

という本が目に入る。

「自分をしっかり持て!」「自分を大切に!」「自分を出せ!」「自分が一番!」
「自分、自分、自分・・・・・」と、どこもかしこも何かと自分がもてはやされる昨今、
これはいったいどういうことでしょう。と興味が湧き、面白そうだったので借りてみる。


読んだことをすご〜く大雑把に説明すると、
仏道の教えをベースに自分とどう向き合うべきか教えてくれる本。

ちなみにその仏道の教えとは簡単に書くとこんな感じ。

「この世の苦楽は全て自我(自分の感情)の勝手な反応や心の思い込み」→
「だから自我というものは全て心を苦しめる毒」→
「ならいっそそんな自分捨ててしまえがその方が身軽に幸せに生きられるよ!」

まずは、自分の感情を客観的に見つめ、何に執着し苦しんでいるかを静かに見つめることが大切だそう。
(その際否定も肯定もせずただ見つめること)


早速実際にやってみる。感情の元を静かに辿る。

改めて冷静に自分を振り返ると、「安心したい、自信を持ちたい」気持ちを「正しさ」に託していたのだと気づく。

あれこれと本やネットで情報を仕入れては「正しい道を進んでいる、間違えてない」とを確認したくて本や知識にすがる。そんな弱い自分が見て取れる。

人と比べて「自分はダメだな〜」と「正しさ」が揺らぐと本当に脆い。そもそも正しさだって曖昧な主観でしかないのに。

・自分の考えや、仕事、行動はは意味のあることと思いたいし、正しいと安心していたい。
・考えていることが間違えていること、失敗が怖い。
・ひいてはそれで自信を失う、プライドが傷つくのが怖い。

執着するから違うやり方が許せないし、自分のやり方や考えを人に押し付け、話を聞くより無駄に主張しすぎる。
悩みを聞いてるフリをして自分の主張を「どうだ!」とばかりに説きたくな
る自分がいることにも気づく。

いいことを話した「気」になって満足しても、所詮は自分しか見ていない、答えの帰結は「私の答え」でしかない。結局のところ一人よがりなのだ。


こんな文を書いているとすごく後ろ向きで余計落ち込みそうだが、
実際の私の気持ちとしてはなぜか「そうだったのか〜・・」という落ち着いた気持ち。傷口を押して出てきた膿を見ているみたいな、気持ち悪くも安心しているような気持ち。もはやこの事実を肯定も否定もするまい。



きっかけを与えてくれた本と著者には感謝。
「自分」のダイエット始めます。


肥大化したデブで大きい「自分」とはお別れを告げ、
豆粒みたいに小さく身軽な「自分」と付き合っていくことにしようと思う。


デザイナー(グラフィックがメイン)。埼玉の自宅にて在宅ワーク中。釣りとスケートが好き。 デザインのことや、自分が大切にしたいことなどをまとめてます。 子供が出来てから、日々の時間の使い方や働きかたを日々模索中。