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なんかもう恥ずかしいくらいいける様な気がしてる

怒られそうになったら「にゃーん」と言って逃げ出し、怒りそうになったらおっぱいのことを考えて心を大変平和にさせる。本から得られる知識は人生を豊かにさせる(?)。

休職期間、通院以外に特にすることがなく相変わらず毎日毎日毎日毎日、本を読んで映画を観て音楽を聴いて街を歩く。ネクライトーキーは「25を超えたら死ぬしかない」って歌うし、誰の役にも立たずに自分の身にもならない人生は、生きているのではなく死んでないだけだって確信する。

そんな日々を脱するべく、年末年始ぶりに地元に帰る。半年ぶりの地元で過ごした11日間は毎日が暑くてアツくて。24にもなって仕事もせずに、昼過ぎに起きて遊びに行き、朝寝るような大学生みたいな遊び方でeternal summerでした。スキューバーダイビング、麻雀、ボーリング、ダーツ、カラオケ、花火、海。一緒に花火した子が呟いた、夏は嫌いだけど、今日の夏は好き。って台詞が嬉しくて聞こえてないふりした。誰にも俺らの夏をエモいなんて言わせない。スリマが歌う「一生夏休み」ってこう言うことだなって思った。優しさも喜びも常識もどっか逝っちゃっても一生夏休みならそれはそれでありだと思ってます。

今回の帰省は、少し長い期間だったってこともあって会いたい人に会えたのが何より評価が高い。中学や高校の相棒たちも、毎季節会ってる人も、あの頃仲良くなりたかった子も。中途半端な人間関係を削ぎ落としていった先に残る人たちはこの人たちだろうなって思った。この人たちであってほしいとも思った。そんな中でも1番会いたい人には会えず、僕の知らない男と最高の夏をしてればいいなって諦めと希望が入り混じる。いつ振り返ってもマカえんに「回りくどい話を省くなら君が好きだった 死ぬほど」って代弁してもらう。そこに思い出補正の誇張も強がりの嘘もない。

帰省中に、友達以外にも友達のぱぱままや大人の知り合いに今の現状を話した。仕事を辞めるつもりのことも、この先の期待も不安も。全員が僕のことを理解ってくれて、誰ひとり否定しないでくれた。人生これから。別にいいじゃん。って。面と向かって、死なないよな?なんて言われても、メメントモリの精神の僕はわかんないとしか答えられないし、この先どう応えられるのかもわかんない。細く長くより太く短く生きたいとしか言えなかった。太く長くならキミも満足してくれる?1.2ヶ月後のことさえ不透明でも、クリープの「前に進め 不規則な生活リズムで」って歌詞をココロで聴けるまでは大丈夫だし、なんかもう恥ずかしいくらいいける様な気がしてる。

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