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ごまと過ごした愛しい日々

イシデ電さんの『ポッケの旅支度』を読んだ。
ねこと暮らせば、いつかは見送ることになる。そんなことは分かっているはずなのに、分かっていると思っていたのに、全然分かってなかったんだと、すべてが過ぎ去ってから分かる。

ごまの不調に、わたしはぎりぎりまで気付かなかった。ちょっと食事量が減ったなと思って病院に連れていったら、それから10日ちょっとでごまは旅立ってしまった。これからかかる治療費のために働かないと、とそのときのわたしは思った。でも本当は、そんな時間はもう残されてなかった。酸素室が必要になるかもしれない、と先生は言った。それがいくらかかるものなのか、今はもう忘れてしまったけど費用なんて問題じゃなかった。わたしの生活が破綻しても、ごまには生きていて欲しかった。
ごまの病気が分かってから、毎日夢を見た。弱ったごまを腕に抱いて、知らない場所で立ち尽くす夢。どこに行けばいいのか、何をすればいいのか分からず途方に暮れている。目が覚めて、ごまの姿を探す。このときにはベッドの上にあがるのもつらいのか、ソファの下に入りこんで寝ていることも多かった。慌てて探して、わたしの顔を見て「ナア」と鳴く。よかった、と安心して仕事へ行く。そして帰宅するとき、アパートの廊下を歩いていたらごまの鳴き声がしてまた安心する。
仕事なんか、行かなきゃよかった。でもごまは、わたしが帰ってくるのを待って、わたしの腕の中で死んだ。
急に苦しみだしてベッドの下に逃げようとしたごまを捕まえて、無理やり腕の中におさめた。ごま、ごま、行かないで、ごま、って叫んでも、これが最期だと直感で分かった。泣きながら病院に電話したけど夜遅くで繋がらなかった。急いで車に乗せてどうぶつ病院まで行った。玄関を叩いて、呼び鈴を鳴らして、誰かいませんかって言ってみたけど、やっぱりいなかった。車に戻って撫でたごまはまだあたたかくて、でも身体はかたくなりはじめてた。車の中でそのまま泣いて、帰ろっか、と声をかけて車を出した。涙で街灯が滲んで前がよく見えなかったけど、このまま死んだって別にいい、と本気で思った。
ベッドにタオルを敷いて一緒に寝た。枕元でごまが「ナア」と鳴く夢を見て、なあんだ、ごまはまだ生きてる、って目を覚ましたらわたしの右手は冷たくなったごまの上に乗せられていてどっちが夢か分からなかった。

葬儀屋さんはとてもいいところだった。たくさんの花を並べて、きれいにして、丁寧に送ってくれた。「最後にだっこしますか」と言ってくれて抱いたごまはかたくて薬品のにおいがした。あんなに泣いたのは、後にも先にもあの日しかない。
からだが引き裂かれそうなほどつらかった。でもこのつらさを失くしたくない、と思った。骨壺にわたしの苗字とごまの名前が続けて書いてあって、そのときはじめて「あ、この子の苗字ってわたしとおなじなんだ」と思った。なんだかそれがおかしくて、へんなの、と思ったのを覚えてる。その骨壺は、まだうちにある。

あと1か月ちょっとで、ごまがいなくなって2年になる。毎日泣いていた日から時間が経つにつれ平気な日が増えてきて、思い出としてごまのことを話すこともできるようになった。その事実に悲しくもなるけれど、以前「忘れている時間が増えるのはごまとひとつになっているということ」だと言ってくれた方がいて、それを思い出しては救われている。
『ポッケの旅支度』を読んで、いろんなことを思い出した。たぶんいろんな細かいことを忘れていて、でも忘れてないこともある。ぼろぼろに泣きながら、つむぎがいたずらをしようとしたのを抱き上げて止めた。さっきまでわたしの腕の中にはたしかにごまのかたさがあった。それがつむぎの重さとやわらかさに塗り替えられて声を上げて泣いた。顔を寄せたらつむぎが鼻先をなめてくれて、でもわたしの涙がぼたぼた落ちるものだから嫌そうにすぐに逃げ出してしまった。

今つむぎはよく晴れた外の景色を眺めたり、差し込む光の下でごろごろしたり、わたしがキーボートをぱちぱち叩く音が気になって覗き込んできたりしてる。いずれこの子も旅立ってしまう。それは分かってるんだけど、やっぱりわたしは分かってないんだと思う。いろんな後悔を抱えて、次こそは、なんて思ってみてもすべてが終わればわたしはまた後悔をするだろう。それでもめいいっぱいの愛を持って、この子と生きる。たぶんごまもおんなじ日向で寝てくれている日があると思う。それくらい都合のいい夢を見たって、たぶん罰は当たらない。

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