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食事

最近毎日上司に言われること。水を飲め・飯を食え。こんなことを言わせて申し訳ないな、と思う。わたしに効くと分かっていてわざと「体調管理も仕事のうちや」と言う。まったく、その通りだと思う。
それでも食べない。食べられない。チョコレートひとつで一日を過ごす。「自分の食に対する気持ちを何かに書き出せばいい。それを読み返したとき、自分がどれほど愚かか気付くやろ」と上司は言った。愚か。自分の愚かさにはとうに気付いてる。でも上司はわたしの恩人なので、言うことを聞いて書き出しているところ。
料理を作るってすごい。どんなに悲しい気持ちで作っても、面倒くさいと思っても、出来上がったものには生きる力が入ってる。生きる。そういうプラスのエネルギーがたぶん、今のわたしにはない。何を食べようか考えるのが面倒くさい、買い物に行くのが面倒くさい、作るのが面倒くさい、片付けが面倒くさい、なんなら食べるのだって面倒くさい。全部済ませたら夜何時になっちゃうんだろ。そう思ってやらない。そんなに時間に追われてるわけでもないくせにね。コンビニに寄って適当に何か買えばいいや、って思う。でも眺めると何も食べたくないって分かる。見たらおいしそうだなって思うけど、それを買って家に帰っていただきますって、考えるだけで吐きそうになる。それなのにわたしは今からそれにお金を払うの?とばかばかしくなって何も買わずに帰る。ばかばかしいのは、他でもないわたしだよ。
生きようという意志が希薄すぎる。これも上司に言われた言葉。だって生きたくないんだもん、とは言わなかった。子どもが駄々こねるみたいなものだから。たしかに死にたいわけではないけれど、こんなにも生きることが面倒で、つらくて、どうでもいいのに、食事なんて前向きなことできない。生きる力をつなぐようなことできない。これを続けてゆるやかに終われたらいいんだけど、そうもいかないからまた苦しい。あー、面倒くさい。
健康に生きるのってむずかしい。食べなきゃいけないし、飲まなきゃいけない。なのに死ぬのもむずかしい。だからどっちつかずでふらふら、もう疲れたんだよね。なんで食べないの、って、わたしが一番分かんない。もう全部いやだ、何も考えたくないし何もしたくない、何にもわかんないよ。って思って「もうやだー」って口に出したら泣きそうになった。扉も窓も何も無い真っ白な四角い部屋の中にぽつんと立って、わーんって泣いてる自分の映像が浮かぶ。なんだろこれ。
「食べないと死ぬ、分かるか?」って、分かる、分かってるけど、食べないですぐそこに死があれば楽なのに、間に単なる体調不良があって面倒くさい。からだは生きようとしてるのかな。あーあ。母が泣いていた記憶がよみがえる。「お願いだから生きて」、ああそうだ、家族は悲しむだろうから、死ぬのはやっぱやだな。
池辺葵さんの『ブランチライン』を読んでいたらぼろぼろ涙が出てきた。「そんなに正しく生きようと思わなくていいのよ」。正しく。許されたような気持ちになった。自分が正しくあろうとしてるのかは分からんけどさ。許されたい。って、だれに?
上司が言った。「サマーウォーズの中でも言ってたやろ。一番いけないのはおなかがすいていることと、一人でいること。飯を食え、それで人と会って話をしろ」それを聞いて涙が出た。あはは、そうですね。って言って仕事が終わったらコンビニに寄るって約束した。家に帰って、コンビニで買ったサラダをそのまま冷蔵庫にしまった。食べられない、と思った。そのあと友人と電話をした。話を聞いてくれる、話をしてくれる。「ねえ今からサラダ食べていい?」って聞いたら「どーぞ!」って。ありがとう、サラダ食べられたよ。わたしと友だちでいてくれて、ありがとう。

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