(for) long sweet dream(er)

彼女は、夜になると向精神薬を安いウイスキーで胃に流し込むから、寝る瞬間の記憶が残っていた試しがほとんど無いという。
寝る前に、昔気になってた男とか、喧嘩して喋らなくなった友達とかに、思うがままに長文のメッセージを送る。それが返ってくるのはたいてい朝で、薬と酒と睡魔で酩酊状態でそれを見て、寝て、夕方に起きて適当にパスタとか作って食べて、シャワーを浴びて、Tumblrとかみながら夜が来て、また薬をウイスキーで飲む、らしい。

夜が怖い、と言っていた。
自分がその前の夜に送ったメッセージを読むのはみんな朝じゃん、でもみんな超真面目に返してくるの、で、それで何人か家に来たりするんだけど、ぜんぜんエロい感じにもならなくてさ、それで味噌汁作るの。私、味噌汁はね、ちゃんと出汁引いて作るから美味しくて。それを飲ませると、相手の目の色が変わるんだよね。それで安心する。だからその味噌汁で全部帳消し。逆に誰も来てくれなかったり、誰も電話に出てくれなかったりする日はさ、環七に歩道橋が架かってるでしょ、あそこでビール飲むんだよ。そうすると、だんだん東から太陽が登って、ああ、朝だなあ、ってなって家に帰って、で、気づいたら夕方なんだよね。安心する。昼間、まともに活動してる人の相手なんかしてたら、私壊れると思うんだ。

2011年の4月、震災でずれこんだ一学期の授業開始日には桜なんかほとんど散ってしまっていて、それでも俺はその暖かさにおいて、なにか期待の入り混じった気持ちと、この気持が時間と共にダラダラと日常に溶けていく感覚も知っていた。
僕はその時は金髪だった。震災が起きて、やべえよ、まだやり残したことあるよ、と友達と叫んだ。品物がぜんぜん残ってないコンビニに行ったら、当たり前のように染髪剤はあって、それをふたつ買って、友達に色を抜いてもらった。その勢いで眉毛をそって、ヤンキーじゃんって言って、ピアスを空けて、そいつが持ってたリングのピアスをそこにはめた。

彼女は黒いスキニーデニムにボロボロのVANSを履いて、アメリカンアパレルの赤いパーカーのフードを被って、ぎゅうぎゅうの喫煙所の外に出てタバコを吸っていた。
目があった。彼女はずっとこっちを見ていたので、俺は、タバコありますか、と聞くと、「私今年入学なんだけどこの学校最悪、みんなダサい。浪人するとみんダサく見えちゃうのかな」と、聴いてもいないことを、偽悪的に喋り続けてくるものだから、僕は参ってしまって、諦めて自分のタバコを取り出して吸った。

暫くの間、喫煙所で、授業が終わったあとに彼女とはよく落ち合った。
簡単なプロフィールの交換を、だいたい半年くらいかけて行った。
その頃には僕は黒髪に戻り、眉毛もしっかり揃っていた。
僕たちはきっとお互いに、大学の中に喋る相手があまりいないことも、そして友達がいない人間同士だけでつるむダサさみたいなのも知っていて、今となってはそのすべてがせせこましい自意識の中の出来事ではあるのだけど、まあ、「今となっては」だ。小学生のときのカードコレクションが「今となっては」くだらないものと吐き捨ててしまうように、当時の僕はそのせせこましさを重ねることに必死だった。

それからしばらく彼女は、今度インディーからCD出すバンドのベースと付き合ってることとか、自分が池袋のお嬢様学校の出だということを喋り続けた。
好きな音楽を聞かれた時に、僕は「パンク」と答えたのだけど「でも君ってバズコックスとか聴いてないでしょ」と不機嫌そうに言われて、ハイそうですねとも言えずに、帰りにツタヤでバズコックスを借りて聴いたけど、ぜんぜんしっくりこなかった。彼女は嘘をついているのかと思った。どういう生き方をしていたら、バズコックスにニュートラルに出会い、その良さを理解できるのだろう。僕は、自分が途方もなく、目指しているはずの自分の道から遅れているような気がして、ひどく焦った。

彼女は英語の授業でネイティブ顔負けの発音をするのだけど、僕達がいた英語のクラスはTOEICのテストで最低点数をマークした奴らの集まりだったから、彼女は浮いていて、僕にとってはその英語の授業は再履修のクラスだからもちろん浮いていて、でもやっぱり「浮いている奴らで仲良くする」のはダサいことだった。だから僕は彼女のことはあまり知らない。

安いウイスキーでオーバードーズしている、という話も、きっと、「バズコックス知らないんでしょ」と同じ意味で話したのだろう。僕は授業にはちゃんと出てしまっていたし、大学の成績も悪くなかった。
僕が卒業論文を出して、関東でもまあまあ優秀な大学の大学院への進学が決まる頃には、彼女を大学の中で見ることはなくなっていた。

それがもう、10年近く前の話だ。

僕は仕事を失っていて、不安を打ち消す医者から薬をもらってそれを飲むのだけど、朝になると身体が動かず、昼間に稼働していたなにかをiPhoneの画面で確認するのも怖くて、頭まで布団を被って、夜になってから寝間着姿でタバコを吸いにキッチンに行く。夜はコンビニに行ってコーラと日本酒を買って、それを飲みながらNetflixを見て、腹が減ったら冷蔵庫の中身を適当に料理して食べる。あとは、眠りに落ちるのをひたすら待つ、という生活を繰り返していた。

彼女からメッセージが届いたのは夜中の1時だった。僕は相変わらず、停止した世界のまどろみにも乗れず、学生時代に読み損ねていた哲学書を引っ張り出しては文字を追っていた。彼女のメッセージを、ここにそのまま記す。
「今さっき渋谷のWWWに来て、ぜんぜん知らない若者がさあ、なんかかっこいい音楽で踊ってて、いま私薬も酒も飲んでるんだけどぜんぜんふわふわしない。全部くそ、最悪、と思ってエントランス出て鬼殺し買って戻ろうとしたら再入場できませんって言われて、私君の顔とかけっこう好きだからさあ、今から会いたいんだけど、いま三茶住んでるんでしょ、自転車で来てよ」

と言われたので僕は自転車を飛ばした。
送られてきた位置情報は、道玄坂を登りきったところにあるコインパーキングだった。彼女はマルジェラのワンピースに砂を付けた状態で縁石に座り、タバコを吸っていた。
「嘘をつきました」
と言う。僕は面食らった顔を作って、次の言葉を促す。
「今日は薬は飲んでないんだよね。お酒だけ。でもあんまり良くなかった。✗✗✗✗って知ってる?東大出てるんだって。それで音楽やってるの。かっこよくてさ、でもお客さんが、すごく『俺たちいけてます』みたいな顔して踊ってて、そいつらにナンパされて、テキーラばっかりのんで、私あのお酒って本当に嫌いなんだけど。結局××××も客もバカだしさ、君も東大の院でていまはコンサル会社でしょ、なんかもう全員バカで、一番むかつくのは、君を呼び出せば夜がどうにかなると思ってる私だよね」
「いや、コンサル会社にはいってないし東大でもないし、大丈夫?色んな男とセックスして記憶がこんがらがってるの」
「セックスって単語出せば27歳っぽい物語がこの夜にやってくるとでも思ったの」
「じゃあ会いたいなんて言わないでよ」
「じゃあって何、甘えてるの、甘えてるふりしてぜんぜん甘えてないんでしょ、結局ずっとそうじゃん、まあそんなに仲良かったわけじゃないし、なんかあの時はさ、きっとふたりともめちゃくちゃ仲良くしたかったんだよね。でも今からスタートです、って切り出すほどの距離でもかったし、来てくれてありがとう。元気?」
彼女はずっと話す。僕の目を見てずっと話す。俺の目の奥に何があるのかはわからない。俺の頭の後ろにある夜を見て、彼女はまっすぐに話してくる。
「元気だよ、すごく」
彼女は「バズコックス知らないんでしょ」と言ったときの表情になる。
「元気ですか、それは何より。温かいね、四月みたい」と言って、寝転がった。

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