修士論文を出してから3年間経ったということを思い出した

先日、いま大学院のスタジオアシスタントをしている、という大学院の後輩から、「小川さんの修士論文を読みたいという子がいるので修論を送ってください」という旨の連絡が来た。

「都市の実存に関する考察-荒廃を超えた今日の都市経験の為に-」という、およそ、すべてのアカデミズムに触れた人間であればタイトルからして読むのをやめるであろう俺の修士論文は、主査の教授と、副査の2人、そして俺、の4人にしか読まれていない。俺は修士論文の最後の句点を打って以来、その4万字に渡る文字の羅列を読み返していない。

誰が読みたがっているのかはわからない、なぜそれを読みたがっているのか、表題以外全く情報の出されていないそれをなぜ読もうと思ったのか、俺には全く理解の範囲の及ばない話だ。

俺は5月から、生まれて初めて正社員として、経理の仕事をしている。Excelと会計ソフトを使って、数字を打ったり計算をしたりしている。体調を崩して何回か休んだりしながら、最近は体調が悪くても這うようにして、大手町まで通勤している。

その最中に後輩から連絡が来た。後輩は俺と同い年で、働いてから大学院に入り直し、今もその延長線上で(おそらく、たぶんに分岐や統合を繰り返しているのだろうが)で頑張っている。俺はその道を、その領域を、外れたのだろうか。わからない。
頑なに、自分はこれをやるしかないと決めて大学院に入り、どんどん何も手につかなくなり、やっとの思いで文字数だけ埋めたのが、先の修士論文だった。

その後の3年間、俺は、「領域」に踏みとどまろうとし、あるいはもしかしたら、自分の世界の輪郭を決めつけ、その中で、何かをやろうとしては息詰まり、放り出し、ついには領域だと思っていたものにすら手をつけられなくなっていった。
端的に言って、大学院まで連続していた自分の延長線を、学校という守られた場所の外でやろうとした時に、自分には、社会というものが強く刺さりすぎる、と感じていた。

話は2017年の3月に戻る。
修士論文の査読会をボロボロで終え、スタジオの前でタバコを吸っていると、大学院のボスから「お前、就職決まってないだろ」と言われた。
俺はとりあえずその時にバイトしていた会計事務所でバイトを続けるということ以外、何も決まっていなかったが、「俺の才能を活かせない職場が無いわけがない」と思いきるほどのガッツもなかった。何も、考えることができなかった。
「お前は3年間フラフラしろ」と言われ、なんて無責任なことを言うんだ、と思った瞬間にそれが口に出ていた。「じゃあ先生は何してたんですか」と聞くと、「俺は3年間鴨川見てた」と返ってきた。本当に鴨川を見ていたらしい。

それから3年が経った。この3年を振り返ることはこの文章の中ではしない。本当にいろいろありすぎたし、いろいろ変わりすぎたし、そしてそのうねりは今の自分にも引き続き押し寄せてきているからだ。

ただ、3年が経ち、俺は「領域」とか、そういうことはあまり考えなくなった気がする。自分のやるべきことは何か、とか、自分はこうあるべきだ、とかは、あまり追わなくなったような気がする。
焦りや不安がなくなったかといえばそれは絶対に違うのだけど、とにかく、3年間あったような「俺の領域」のようなものの輪郭はどんどん曖昧になり、そしてその曖昧さが、今は心地よくもあり、その心地よさに焦りを感じたり、感じなかったりする。

鴨川を見ていた3年間もあれば、家を3回変える3年間もある。その前には、その3年間を作る大学院の2年間がある。だから、今の俺には3年後が必ずあるし、1年後も、明日も必ずある。それが今は救いだ。

俺の修士論文を読んだ学生は、2015年から2017年の俺を笑うのだろうか。
終電で渋谷に行き、始発までフィールドワークをしていた頃の俺は、電卓を打っている今の俺を蔑むのだろうか。
笑われてもいいし蔑まれてもいい、ただ、俺は今を生きているということが、今はとても嬉しい。今の俺の人生は、過去の俺によって生かされている。過去の俺は、様々な友人や家族によって生かされている。

成長や自己実現などは、願わなくてもできる。だから俺は今日は寝る。明日の俺は、今日の俺より仕事ができるようになっているはずだし、帰ってから読む本は、まだ俺が出会ったことのない本だ。これからの人生でそれが続いていくことは、果てしない幸福のように思える。

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