2012年フジロック、スペシャルズ

俺は高校生の時からフジロックにかなり幻想を抱いていた。というのも、97年のクロスビートフジロック特集号だか、フジロック10周年特集号だか忘れたが、その中の写真で、泥に塗れたまま、泥の中で、ブリッジをしている人の写真があったからだ。
その写真を見てから、俺はフジロックに行きたくて仕方がなかった。フジロックに俺が行かないで誰がいくんだ、と思いながら群馬のロードサイドで音楽を聴いていた。
高校生は金がない。フジロックに行く金がない。当たり前のことだ。

大学生になった。フジロックにはまだ行けない。大学一年生の時は、1ヶ月の収入を奨学金の5万のみに頼り、大学に通わず、孤独を気取ることに必死だった。
大学二年生のときは、一年生のときの取得単位ゼロが祟り、奨学金の停止を喰らった。だからバイトをしまくるしかなかった。
大学三年生になる春休み、俺はバイトをめちゃくちゃするようになった。ストーンローゼスとレディオヘッドがフジロックのトリとして発表されたからだ。
バイトをめちゃくちゃして、30万円を貯めた。フジロックの宿代とチケット代を払うとき、例えでもなんでもなく、手が震えた。
豪遊すると決めていたので、金が必要だった。

友達を誘っても、金がないから、と断られたので、1人で行った。

初めてのフジロックは楽しかった。グリーンステージの後ろに椅子を置いて、1人で踊っていたら、隣の椅子の人がビールを買ってきてくれたりした。
FUCKED UPの演奏を聴きながら食べたカレーが美味しかった。

何より、スペシャルズが最高だった。スペシャルズは準トリだったんだけど、最高すぎて、最高だったという旨を全力で全員が表現したら、アンコールをやった。
一度客電がついたあとのアンコールだったので、ばらけていた人たちが一斉にグリーンステージの前に戻ってきた。

本編のとき、隣で1人で踊っていた、首が細くて鎖骨がかっこいいお姉さんと、俺はたまたま合流した。全員がステージ前に走って戻ってくる形だったし、俺はスペシャルズが最高すぎて頭がおかしくなっていたので、お姉さんと一緒に踊ろうと思ってお姉さんのところに走って行った。
そして、お姉さんも俺のところに走ってきた。お姉さんにすごい勢いで抱きしめられたので俺も抱きしめて、おでこをぶつけて、手をつなぎながらスペシャルズで踊った。
スペシャルズの演奏が終わって、お姉さんとハイタッチをして別れた。
めちゃくちゃ綺麗な人だった。

私がフジロック、いや、人生に常に望んでいるもの、それは、スペシャルズの時のお姉さんである。
人生にはスペシャルズが必要だし、叶わないのであれば、スペシャルズ的な要素が、常に存在していなければいけない。
だから、フジロック2012年のスペシャルズに出会い続けるために、俺は、めっちゃバイトする、に準ずる努力を、日頃から怠ってはならないのだ。

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