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宮下公園へ

2010年に上京したとき、幼心に残っていた宮下公園の残穢を確かめに行ったら、そこはなんと閉鎖され工事中だという。
伯母は代官山に住んでいて、小学生だった俺は年に1,2回ほど遊びに行っていて、東京というのは、チェーンの居酒屋の粗品と風俗店のポケットティッシュとPHSに大量にぶら下がったストラップで出来ていると思っていた。
もう少し輪郭を濃くするならば、伯母が代官山に移る前に住んでいた新井薬師前のマンションのエントランスに撒き散らかされていた吐瀉物と、それをとりたてて騒ぐこともなく部屋に入っていく伯母と、京樽のプラスチックのパッケージだ。

そういうものが集まって東京はあると思っていた。

伯母が他界した6年後、東京に住み始めた。
それは確実に、街でBECKのLoserを耳にした日だった。ベックは、俺が高校生の時ですら過去の音楽だったし、それが故に、イヤホンからのみ聴くことができるものだと思っていたので、「不意に」耳にするの類の音ではなかったから、やばい体験で、よく覚えている。東京では、ベックが普通に流れているのか、と。
そしてそれは、初めて、湘南新宿ラインの終電を逃してもなお、渋谷センター街入り口にあるスターバックスで友人と話していたときでもあった。
ふいに、俺は痛烈なフラッシュバックに襲われた。
上記の「東京の内側」が、東京の内側にいるのに全然見えない、と思ったからだ。5月だった。

そして宮下公園に行った。
宮下公園は、何か政治的な人たちがいたり、そういった人たちが問題化している人たちが住んでいたり、怖い人たちが踊ったり、木陰の人目につかなそうなところでたむろしていて近付くのは絶対にやめといた方が良かったり、そういうところだった。
宮下公園の空気は、ゴールデンウィークの新緑の匂いとともに、また、モヤイ像付近の、尿・タバコ・排気ガス・下水・香水、の匂いが混ざった匂いとともに、やりすぎなまでのドリームキャストのPRとともに、思い出されるものだった。

2010年の俺はそれを訪ねたがしかし、工事中だった。

工事中。

工事というものは、すべて、日常的に眺めることが可能な距離で行われるものか、あるいは年度末の土木作業でしか見ないものだと思っていた。
当たり前になりすぎて、当たり前を通り越して、絶望することすらやめさせるような、工事中が渦巻く東京で、恐らく俺が2010年に宮下公園で観たフェンスも、そのひとつだったにすぎないのだろう。

が、強烈だった。

存在というものは、

1:予め失われることが告知される
2:失われる
3:失われたことに想いを馳せる

の3段階をもってして、完了することだと思っていた。それが、目の前で、すでに失われていて、しかも、「宮下ナイキパーク」なんて名前になるらしく、センター街は「バスケットボールストリート」になるって、地元の自治体もびっくりする創英角ポップ体と同じレベルにあり、俺は、東京ではこれが当たり前なのか、と思った。当たり前ではない。狂っている。気持ちが悪い。
そして知る限り、その気持ちの悪さは2020年の現在に至るまでの10年間続いている。その気持ちの悪さの正体、つまり、きわめてるるぶ的な、観光マップに載せるものを作り出している主体、のようなものを問いただして洗いあげようとすると、主体のないものと戦っていたことに気づくのは、だいたい戦い始めてから5年くらい経ったあとだ。
まるでドン・キホーテの寓話であり、実店舗としてのドン・キホーテは、俺の中に醸成された東京の内部のイメージを、内部化しながら、ブランディングに成功した。
すりむけたハローキティのストラップ的な東京は、すべてドン・キホーテに行ってしまい、人々はとてもつるんとしていて、つるんとした端末を操作しながら歩いていて、2010年の俺は、つるんとし始めた端末を持って上京したのだった。

とりあえずその空間は「宮下ナイキパーク」ではなく「宮下公園」として、自粛ムードで真っ暗になる渋谷にオープンして、調べる限り、名前を巡ってさまざまな論争があり、やっぱりここにもつるんとしたスケートボードのパークや、つるんとしたボルダリングの場ができていて、土がある平地はそれのためのおまけみたいにのっぺりと存った。

そういえば、その年も、大学の卒業式は開催されなかった。そのことに絶望している、ツイッターで知り合った歳上の女性の吉祥寺のアパートに行き、Tシャツに浮かぶ乳輪を見て、俺はとてつもない状況にあるな、と思って、ソファで全く眠れなかった夜を思い出した。
元気ですか。この文章読んでたら連絡ください。朝、さらっと冷蔵庫からマウントレーニア出してくれてありがとうございました。29歳になりました。

とにかく、新しくなった宮下公園を散歩していて、ここでデートはできないな、と思った。のっぺりしているので、我々もまたのっぺりとせざるをえないし、第一、ここで終電を逃すことは物理的に不可能だった。
タワーレコードだけは潰れないでくれと思ったが今はその気持ちはない。
下水の匂いだけがした。紛れもない東京の内側の匂いだ。
公園の下にマジで川が流れているということを知るには、その3年後、渋谷について卒業論文を書こうとしていた時期を待たなければいけない。誰が待っているのか。俺だよ。
渋谷から代官山まで行くのに、一度階段を上って東横線のホームに行った割に一瞬で着いちゃうのが嫌だから、東急トランセに乗って30分くらいかけて代官山にいこうとねだっていた10歳の俺に19年足しただけの俺が待ってんだよ。

それでも宮下公園は好きで、駐輪場の手前にある公衆便所の前の空間にあるフェンスに工夫して腰掛けて、友人と酒を飲んだりタバコを吸ったりした。誰の目も気にすることなく、酒を飲んだりタバコを吸ったりできるのはここしかない、とさえ思っていたし、当の「再開発を終えた」宮下公園は夜が深くなると門が閉まり、我々が渋谷で暇を持て余すのは大抵、門が閉まった後の時間だった。

その宮下公園がなんとなーーーーく封鎖され始めて、なんとなーーく完全に封鎖されて、中が見えなくなったと思ったら、目線を上にしないと見えないところに床を作って、これどういうことだ?と思ったら、”MIYASHITA PARK”として再整備されることになったらしく、普通に、唖然とした。
そんなことをやるのは、藤原ヒロシと銀座くらいだろうと思っていたからだ。
もう”THE SHIBUYA”でいいじゃん。全部ザ・シブヤにしてさ、ザ・シブヤⅡとか、ザ・シブヤ・公衆便所とか。と考えていたら似たようなことを森ビルが虎ノ門でやってる。やっぱ森ビルは考えてるスケールが違うわ。就職しなくてよかった。

ミヤシタパーーーークを、目白通りを挟んで眺める。
別に眺めたくて眺めてるわけじゃない、信号が変わるのを待ってるだけだ。

その旧・宮下公園を持ち上げた路面の上に、エヴァンゲリオン新劇場版Qの冒頭に出てきたヴンダーみたいな、巨大な哺乳類の肋骨のような金属製の装飾が出来て、俺は、誰かに「あれは何?」と聞かれても、否定的な言葉しか吐けないだろうから、何も聞かないで欲しいな、と未来を前借りして最低な気持ちになった。

見て見ぬ振りをするうちに、世界で最も有名な谷底であろう渋谷には、谷底にも関わらず高層ビルが建ち始め、ヒカリエで騒いでいた頃が懐かしくなり、MIYASHITA PARKは2020年の6月に複合商業施設を伴ってオープンするらしい。俺が住民票を置いている自治体が、愚者によって構成されていることが、どんどん明るみになっていくこっ恥ずかしさを覚える。

廃線を利用したニューヨークのハイラインならまだしも(ニューヨークには行ったことがないし多分今後も行かないだろう)、普通に歩いていて、普通にアクセスができない空間を、公園と呼ぶのは、おぞましい。だからローマ字表記で「MIYASHITA PARK」なのだろうか。
グローバルスタンダードを和訳しようとしているうちに、置いていかれてるどころか独自の進化を遂げている我が首都で、紅白の色で構成されていた居酒屋のネオンは影を潜め、いまや喫煙者はパブリックエネミーだし、最悪。新しくできたPARCOに喫煙所がついていることを誰かが称賛していたが、最悪だと思った。

なんで10年前に作り直した公園をまた自分らでぶっ壊してまた作ってるのか。10年後も同じことをやるのか。100年後には水の底に沈んでいる街の一番低いところを、水面に顔を出して呼吸をする生物のように、場当たり的に高くしている。アホが。勝手に金使って浅瀬でちゃぷちゃぷ身内同士の褒め合い馴れ合いカルチャーごっこやってろ。

ただ、俺は、新型iPhoneが発表されるたびに「ジョブズが泣いてる」と言っては新型に買い替えている人たちを心の底から軽蔑している。ジョブズが死んで何年経つと思ってんだ。大人しくiPhone4Sと共に余生を過ごせ。お前はアヴェンジャーズ見ながらウォルトディズニーの気持ち考えんのかよ、大変だな。
まあいいや、泣いているのは現在の俺であって、10歳の俺は多分MIYASHITA PARKにあまり絶望しない。
お台場の21世紀までのカウントダウンクロックの前でポーズした写真とか残ってるし。2000年前後の俺はピュアとかフレッシュとか通り越してイノセントだった。キディランドでブレードライガーのゾイド買ってもらえてよかったね。

だから、2020年の俺は、少なくとも、宮下公園をいつでも、どこでも、レジャーシートを広げるように展開できるようにならなければいけない。つまり、宮下公園をここに、一度ちゃんと畳まなければいけないのだ。

前置きがとても長くなった。

宮下公園へ。
お前は、桜丘と共に、並行宇宙では渋谷を喰らい尽くして骨まで残すな。
以上。

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