夏休みのこと

小学4年生のとき、僕の家の向かい側にあった汲み取り式便所の文化住宅が取り壊されて、マンションと広い駐車場ができた。
マンションの一階には託児所があって、違う学区の子がたまに預けられていた。僕は友達の家にスマブラをやりに行く時とかに、彼らがその広い駐車場で遊んでいるのを見てた。

その駐車場は、家の和室の窓から見ることができた。
友達の家から遊んで帰ってきて、まだ母が帰宅していないとき、その窓から彼らが遊ぶのを見るのが、習慣とは言わないまでも、自分の中でブームになっていた。

夏休みになった。僕は友達の家に行く以外はほとんど自分の部屋にいて、漫画を書いたり、本を読んだりしていた。
ある日、散歩をしようと外に出ると、駐車場で遊んでいる子供達に声をかけられた。一緒に遊ぼう、という、平凡な誘いに僕はのった。
1番の年長の女の子は僕と同い年で、隣の学区に住んでいて、ボシカテーだからお母さんは夜まで働いていて、夏休みは毎日託児所にいるのだという。
彼女の弟2人と共に、とても柔らかいゴムのボールを投げたり蹴ったりして遊んだ。
そういう日が1週間くらい続いた。

夏休みも中盤になるころ、僕は活動の拠点を和室に移した。自分の部屋は暑く、そして宿題をやっていなかったので、空気の通りがいい和室は夏休みを過ごすのに最適だったからだ。

弟の方が、遊ぼーと、和室の窓越しに行ってくる。
家を出てボール遊びをするも、毎日ボール遊びでは飽きてしまう。
僕の家にはプレステがあったけど、友達でも無い子たちを家にあげるわけにはいかない。

だんだん外に出ることがなくなり、僕は和室の窓越しに「今日は宿題やるから」と断るようになった。
それでも、弟の方は、遊ぼー、と言ってくる。

だんだん断る罪悪感が強くなって、僕はその声を無視するようになった。
弟は、無邪気に、遊ぼー、と言ってくる。
その後ろで、僕と同い年の女の子が、ゴムボールを持って、なにかを耐えるような顔で、黙ってこちらを見ている。
僕はそれを無視する。
僕は宿題をやらなければいけない。僕はクラッシュバンディクーがやりたい。だから、君たちとは遊べない。

夏休みが終わって、彼女たちは託児所からいなくなった。

夏が来ると、このことを思い出す。胸が、どうしようもなく痛くなる。僕は、あの子たちと、ゴムボールで遊ぶべきだったのだ。家に入れて、冷たい麦茶を一緒に飲んで、プレステをやるべきだったのだ。
僕の友達の家に連れて行って、一緒にスマブラをやるべきだったのだ。自転車で一緒にスーパーに行って、アイスを食べたりするべきだったのだ。

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