ショート小説「VT」

ログアウトしました。

アナウンサーの音声と共に視界が明るくなった。ん?ログ…なんとかがなんだって?はじめて聞く言葉だ。また運営のバグなのだろうか。
視界をスライドさせると、やはり馴染みのない景色が現れた。白い壁、白いカーテン、そして、白いベッドの上に私は寝ていた。待機所でも、なんならホームですらない。これは、あ~、ん~、やったね、バグ確定!めんどくさいけど、運営に報告しないといけない。ハンドサイン«フォーラムへ接続»を出す。…。……。…。ハンドサインをもう一度出す。ええー、ご機嫌ナナメすぎない?ウィンドウすら出ないバグ、だと…?
うぅ、運営しっかりしろ。こうなったら仕方がない。この場所を探索して、誰かを見つけてここがどこだか教えてもらお。ついでに代わりにバグ報告をやってもらっちゃお。そうと決まればスタックしていないか確認して…よし、動ける。
ベッドから立ち上がり、そして私は膝からかっくんと崩れ落ちすっ転んだ。
なに?!どうした?!
カーテンを巻き込みながら倒れた先に柔らかいものがあったため痛みはないけど、自分の体に重みがある驚きがなによりも勝った。動きづらいんですけど。うんと時間をかけて苦労して絡まったカーテンを解き、自分の体を立たせる。バランスが取りにくいが、なんとか移動はできそうだ。こんなアプデするって通知あったかな~通知多すぎて見ないんだよな~。これもまたバグなんかな。さてはて。
とりあえず人様の備品類を壊しでもしていたら申し訳ないので、カーテンレールやカーテンなどを破損していないか確認する。うん、大丈夫そうだ。さらに倒れた先の無事を確認するために布を引く。カーテンの向こう側には、ベッドの上で女性が寝ていた。

その女性は、どのアバターよりも美しかった。

黒がね色の髪はベッドの上に踊るように散らばっていて、艶やかでしっとりとした髪質はほどよく束感が出ていてまとまっている。
肌は白磁のごとくつるりとしていて、一見すればのっぺりとした面白みのない無機質のようだと思うのに、少し見つめるだけで白肌の下の複雑な色彩が現れて、豊かな色の数に魅入って溺れそうになる。
唇はぷっくりと薄桃色の山を作っている。優しい色は触り心地まで優しく柔らかであると示しているよう。唇の薄桃色と肌の乳白色は合わせれば一抹の儚さを匂わせる。
閉じられた瞳からは髪と同じ黒がね色のまつ毛が生えていて、光の反射で白と黒との絶妙なコントラストを作り出し、まつ毛の1本1本が曲線を描いて張りがある。

惜しげもなく無防備に晒されている美しさに、私はなすすべもなく座り込んだ。目が彼女から離れられない。

販売元はどこだろうか。私も、それが欲しい。
相手の情報を見ようとボディに手をがざす。ウィンドウが出ない。バグめ…いやっ、あっ、しまったごめんなさい!マナー違反をしてしまった。慌てて手を引っ込めて相手の様子を伺う。
特に反応はない。ほっと一息つく。
しかし、見れば見るほど不思議な質感だ。せめて肌のテクスチャの販売元だけでも知りたい。展示会で見たことないし、これだけの1級品だから、きっとオーダーメイドとかでとんでもなく高価なのだろうけど…。矯めつ眇めつ見つめていると、突然背後から声がかけられた。


「@4523523130さん、おはようございます」
「ッ!!」
「お話がありますので、こちらへどうぞ」

完全な不意打ちにものすごくびっくりした。声の主の正体は、ナースキャップを付けたアナウンサーだった。美女から話しかけられたかと思って、なにを話そうかとかちょっと挙動不審になっちゃったじゃん!
アナウンサーを睨めつけるが、彼は何処吹く風だ。それに彼の言うことは«絶対!»がルールなので、ここから離れたくはなかったけれど、促されたとおりにしぶしぶのろのろと移動した。


シンプルな椅子のあるこれまたシンプルな部屋にに案内され、そこで私は衝撃の事実を知った。
産まれてから今の今まで私はずっと寝ていたのだという。
人類は医療と技術の発展により脳波を正確に測定できるようになった後、インターネットの電子世界とリンクさせて住む先をバーチャル世界へ移したこと。
私だけじゃなく今生きてる人はみんな寝ていて、脳波測定のための器具が取り付けられて精神体になってること。
お世話は技術発展の副産物の人口知能ロボット«アナウンサー»がしていること。

「っ、ありぃ、おうぃ、こぉお?」
「はい、突然の事で驚かれたでしょう。メリットはたくさんあるのですよ。思考のみだと言葉よりも何倍も早く意思疎通ができます。人同士のインプット・アウトプットは加速度的になりました。限りある生での経験は、過去の何十倍も積めるようになっているのです。」
「ぉくぅ、あ、あう、っぁ、いぇ」
「脳波測定は現在も行っておりますので、意思疎通が可能なのです。」

すんなりとはいそうですかとは信じられないけど、«アナウンサー»は«絶対»だし、さっきまでの一連のことを考えると、そっか~だからかと納得できる。

ログアウト、はバーチャル世界からこちらへ来るための符号かなにか。
ハンドサインがなにひとつ動かなかったのは、 ここがバーチャルじゃないから。
体が重くて転んだのは、寝たきりでろくに動かしてないから手足の筋肉が萎えきっているから。(STR値の自動減少が行われているから)
同様に口をうまく動かせずろくな発音もできないのも、使ってないからなんだろうな。

なにより、美女はこの世のもの(バーチャル世界のもの)じゃなかったのだ。そりゃ見たことないよ。

「今回は不具合により、ご不便をおかけし申し訳ございません。」
「いぃお」
「再発防止に努め、このようなことが起こらないようにシステムを組み直しました。」
「ぇっ」

困る。じゃああのベッドの上の美がもう二度と見られないってことじゃないか。

「@4523523130さんへは今回はお詫びとしてアバターを贈呈いたします。こちらです。」
「!!」

アナウンサーが手元の板を私の目の前につき出してきた。
ウィンドウに似ている板には画質が悪くて見づらいものの、美女が表示されていた 。あァ、見れば見るほど美しい。幸せな気持ちになる。これに着替えられるのか。うっとりと眺めていると無粋な声が聞こえてきた。

「ただし、次の条件に同意いただけた場合です。」
「ぅえ?」

アナウンサーはつらつらと長文を述べながら、同時に板にも同じ文書を記している。長すぎて面倒だ。私は途中から聞くのを諦めた。文書で見返そうに板の画質が悪くてやる気が削がれる。簡単にまとめると、アバターあげる代わりにこのことについては他言無用、言わないように制約をつけます、ってとこかな。まぁバグだらけなのはみんな知ってるけど、隠せるなら隠したいよね。そして私も貰えるものは貰っておきたい。欲しいものなら特に。いいよ、ほの暗い契約を結ぼうじゃないか。

「お手数ですが、この内容に同意されましたら、口頭で同意しますと言ってください。」
「どぉぅいぃまぁう」
「ありがとうございます。契約は双方合意のもと結ばれました。」
「ん」
「それでは、ログインの準備ができました。どうぞおかえりください。」

アナウンサーが私の腕を取り注射をする。自然と視界がゆっくりと閉じていく。身体から力が抜ける。
あぁ、楽しみ!帰ったらさっそく着替えなきゃ!


記録および肉体の処理 完了。
ログインしました。


アナウンサーの音声と共に視界が明るくなった。ん?きろ、に、ログ…なんとかがなんだって?はじめて聞く言葉だ。また運営のバグなのだろうか。
視界をスライドさせると、見慣れた我が家だ。なんか違和感がある、けど…。ん、ん~?なにか分からない。
ふと姿見の私が目に入る。地味な黒髪、白すぎな肌、存在感ゼロの唇。
えっ、全部画質荒っっっっ!違和感の正体はこれか!誰のイタズラよこれ。クローゼットを開き、最近お気に入りのアバターに着替える。脱いだこれはいらんわ。ゴミ箱へポイ。よし、すっきりした。

室内のメールボックスを見ると、通知数が+999になってる。ちょっと目を離すとすーぐこうなるのなんとかなんないかな。ハンドサインで全件ダウンロードして開いて、めぼしいものを探す。不具合詫び通知多すぎない?ダルいから開かずまとめて既読押して、と。おぉ、モールで新衣装の展示会。これいいな、行こう。メールに添付されてるリンクを押して会場へ向かう。

会場に着くとすぐ目の前は巨大怪獣やキメラ・虫コーナーだった。うげぇ。気持ち悪。足があんまり生えてない販売員に尋ねて、女性型の衣装コーナーへ行く。やっぱこれだよ、これ!煌びやか!どれもこれも可愛い~!あっちも綺麗!えっっさすが老舗。新作美しすぎ~!あぁ、でもm9./"'はもっと、…え、ん?なんだっけ?私、なに考えてたっけ?
一瞬途方もない暗がりに落ちるような感覚がした。怖い。これダメなやつだ。だから私はそれに蓋をして、この展示会を思いっきり楽しんで忘れることにした。

[完]

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