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私にとって恋愛とは生きる活力

生きていくために必要なことは数多あれど、恋愛は衣食住の次くらいに大事なのでは、と考える。

人並みに恋愛をし、傷ついたり学んだりした結果、安定的な関係性を築けるようになったからこそ、もう一度恋愛してみたいなとふと思う。

恋愛の醍醐味とは、気になる人ができ、相手との腹の探り合いを経て自分のものにしていくこと、そして愛し愛されることだと考えている。

それこそ学生時代には告白することもされることも経験し、いわゆるモテ期も数回経験した。自分の気持ちを伝えることは大切だったと今でも思うけれど、中高とそれぞれひとりずつ告白した経験を思い出すと赤面してしまう。

中学校では、中学入学から1週間くらいで気になる人ができた。同じクラスの優等生。3ヶ月後に手紙で告白した。いちごの柄の便箋だった。今の中学生は手紙で告白なんて、するのだろうか。LINEみたいに簡単に想いを伝えられる時代になっても、手紙の重みって違う気がする。

翌日だったと思うけれど、手紙が返ってきて返事は◯。そこから付き合うことになった。人生初めての彼氏だった。

高校では直接伝えた。メールを頻繁にする仲になり、前日に部活のあと話したいことがあると伝えた記憶がある。無事その日から付き合うことになった。

このふたつの淡い恋愛のなかではいわゆる醍醐味を味わうことなく終わった。若すぎたのだろう。

もう少し大人になり、自由も増え、恋愛というものを学んだ。駆け引きや愛されることを本格的に覚えたのも大学生になってからだ。

だけど、学生時代の恋愛に共通しているのは、恋愛が生きる活力になっていたということだ。好きな人や彼氏に会いたいがために、学校やバイトに行きたいと思ったし、学校やバイトのあとに遊んだり一緒に帰ったりする約束があれば、1日中浮き足立った気分だった。根っからの恋愛体質だったかもしれない。

こんな私だったけれど今は落ち着いた。ときどき恋愛体質の血が騒ぎ、駆け引きやデートなどの恋愛の醍醐味を味わいたいと思うことはあれど、行動に移すことはない。そして恋愛をしないからといって活力を失ったわけでもない。私と安定した関係を築いてくれている今のパートナーに感謝だ。

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