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筧美和子についてのご質問、あるいは整形について

質問箱に「筧美和子の顔の歪み」とだけ来ていたので、顔についての持論を述べます。

まずは、筧美和子が顔が歪んでいるかどうか、僕にはわからない。というか、一般的な顔の良し悪しとかがよくわかっていない。清潔感とか体臭とか声がでかいとかそういうので生理的な嫌悪を覚えることはあるけれど、それ以外であんまり顔面どうこう思ったことがない。もちろん、好みの顔というものはある。けど、いろいろな好みの顔を思い出しても、あんまり共通点はないような気がする。

目の大きさとか髪の長さ、体型、顔の輪郭、鼻の高さ、人によって違うけれど、どれがベストみたいなものはないように思っている。それぞれが好きなような見た目をしているのが一番好きだ。

だから、整形もかなり肯定派。親からもらった体とか、ありのままの自分とか糞食らえ。親なんかより自分のために生きたいし、ありのままでいたいのなら山奥で霞を食べながらひっそりと死んで欲しい。

けど、少し気になっていることもあって、整形を重ねていく人の大多数が同じような顔になっていくということ。もしも、その時代・地域だけの「美しい顔のテンプレート」に近づくための整形なら、僕はあまり肯定したくない。「なりたい自分」に近づくための整形に賛同したい。

よくわからない「美しい顔のテンプレート」と「なりたい自分」を心の底から同一視するのは危険だと思う。「幸せのテンプレート」とか「家族のテンプレート」のような「よくわからない規範」全般についてそう思っている。なりたい自分がたまたまテンプレートと一致しているならいいのだけれど、テンプレートにわざわざ自分を寄せる必要は全くない。自分の存在を世の中の道具になんてしないでほしい。

僕は「家族愛のテンプレート」を成り立たせるための「親からもらった体」なんて言説を蹴っ飛ばしたいと思うし、「美しい顔のテンプレート」に近づくための整形も同じように思ってしまう。なりたい自分が「家族愛のテンプレート」とか「美しい顔のテンプレート」だったのなら、それに近づくための努力や言説はとても尊いと思う。

筧美和子が人を魅了するのは、もちろん一般的に言われる「かわいい像」に近いという点もあるだろうけど、彼女の笑顔が他の誰とも違う笑顔であるというところにあるのではないだろうか。