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フィンチャー作品の女性たちが好きだったことに気づいた

今まで好きな映画を聞かれたらデヴィッドフィンチャーと答えてきたが本当はフィンチャー作品に登場する女性たちが好きなのかもしれない、ということを思った

例えば、ゴーン・ガールはロザムンドパイクの怪演が光ったと思うがエイミーという人物のあれこれを置いといても彼女の狂い方は映画の根幹を成してると思うし、
あとはドラゴンタトゥーのリスベット、ファイトクラブのマーラシンガーとかフィンチャー作品には印象的な女性が数多く登場する。

この3人が特にお気に入りなのだが、共通点に「イカれた女」だと勘違いされやすいことがあると思う。この3人は自分の主義を貫いて生きているだけなのに「イカれた」ように勘違いされやすいのである。

例えばリスベットはなんといってもその外見から偏見を持たれることが多い。今時1000円カットでもありえない斬新なヘアスタイルや顔の至る所につけられたボディピアス、極め付けは背中に鎮座するドラゴンのタトゥー、また痩せ型で小柄な身体的特徴も相まってリスベットと初めて出会った人のほとんどが彼女を社会の異端、異常者と見ていた。
でもそのファッションは本当は彼女が抱えたくないのに抱えてきた問題の傷跡として彼女がつけたプライドであって、社会的に罰せられるべき悪に対するきっぱりとした嫌悪感と否定を内に強く秘めているのだ。
彼女自身の明晰さや優れた決断力は曇りガラスの向こう側で見えなくなってしまうことが多い。

マーラシンガーはただ恋をしていただけなのに。そして愛が欲しかっただけなのに。パンクな見た目をしている人ほど恋愛で他者とのつながりを求めているのかもしれない、なんてことをNANAとマーラの2人で思ったりもした。
人が抱える痛みをセラピーにしていたマーラ。対人関係のなかで満たされている人間であればそんなことをしようという思考にすら至らない。だけど、ただ俗世で他者の痛みを聞いていることが唯一の他者との心からの繋がりであり、破壊的な行動に至る自分を抑制している。
たばこやセックスで誤魔化していても本当は仮初の快楽ではなく愛されることを望んでいたのだと思う

彼女たちを「狂っている」と社会でレッテルを貼る前にそのパンクの裏に隠している本音に気づいてほしい。そしてその隠すという行為が社会的な構造やルールによって抑圧された結果なのであればそれを壊すべきである。そしてその破壊を強く信条としている女性たちにわたしはこれからも憧れを抱き続ける。


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