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【エッセイ】最近少し悩んでいること

自分の手元にあるノートの代わりに、noteを使って、思いつきで、詩を書いき始めてから、結構な量がたまってきた気がする。

量がたまってくると、整理したくてうずうずしてくる。もともと、PCのフォルダも比較的詳細に小分けにしている。noteも、これと同じようにマガジンにタイトルをつけて整理したくなるのだ。

しかし、困っていることがある。整理するための箱を作るには、そのなかにいくつかのデータを入れるための上位概念を箱に当てなければならない。「詩」と「エッセイ」というくらいの大雑把な分類は簡単にできる。しかし、「詩」をさらにジャンルごとに分けようとしたときに、自分の詩をどのように区分けすべきかに悩むのである。

用語は、口語しか使用していないし、形式も自由にしか書いていないので、
用語と形式で分類することはできない。そうすると、内容で分類していくしかない。私の書いたものの多くは、「抒情詩」か「叙景詩」のいずれかに含まれることになるのだろう。しかし、自分では「詩」だと言い張ってはいるが、「詩のようなもの」を書いている意識の方が高く、このカテゴリを使って分類する気がおきない。

こうなってくると、「恋愛」「人間関係」「社会問題」「思春期」「自然描写」みたいな形で分けることができればいい。しかし、実際には、自分の意図としては、メインに「自然描写」があるけれど、それだけではつまらないので適当に「恋愛」の要素を付け足したりして、「感情」の要素を入れていることもある。この場合、「恋愛」なのか「自然描写」なのかよくわからなくなる。それにこのいずれかに割り振ってしまうと、なんのために、感情表現を付け足したり、自然描写を付け足したりすることで、作品の幅を広げようと実験しているのかも分からなくなってしまう。

さらに、もし「恋愛」のカテゴリに放り込むとすると、ほとんどの作品が「恋愛」に放り込まれてしまい、整理したことにならない恐れもある。あるいは、「恋愛」なのか「友情」なのか「家族」なのか、曖昧にしてぼかしておきたい場合に、「恋愛」に放り込んでしまうと、解釈が固定されてしまう可能性もある。それもつまらない。

分類は、雑多なものごとを抽象化し、整理し、理解する助けになる。が、他方で、それによって切り捨てられる雑多なことに意味があったりする。特に、感情表現をする場合、その複雑さや曖昧さが重要な鍵だったりする。そうだとすると、残された分類方法としては、書いた時期(時間)で区切るということくらいしか思いつかない。でも、いまのところ、書いた時期が短期間すぎて、分類方法として機能しない。これ以上のアイディアを思いつかない自分がいやになる。そしてなにより上位概念を考えるのが面倒くさい(自分の作品の分析なんかしたくない…)。

もともと、整理したがりなのは、あとで情報を探し出すのが面倒だというずぼらな性格に由来する。このずぼらな性格が、いまは抽象化のために頭を使いたくないという方向に働いてしまっている。

あぁもう、どうせ書き溜めていることすべてが自己満足なのだから、分類のカテゴリも「自分が気に入っている詩」、「気に入らない詩」、それから「そのどちらでもない詩」とかいう、とことん自己満足な分類でもいいのかもしれない。

という、非常につまらないことで悩んでいる今日この頃である。

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