夜明けまで強がるということ

先日飛行機に乗った際、機内サービスにあった乃木坂46の「夜明けまで強がらなくていい」を聴いて泣いた。私は別に乃木坂46の熱心なオタクというわけでもない。
それなのに、飛行機のど真ん中の列の、両サイドには知らない人が座っているという状況で気軽に聴いたこの曲に、私は泣かされてしまった。なんて素敵な曲なんだろうと思った。今回はそのことについて書こうと思う。


乃木坂46の曲と聞くと、爽やかで晴れやか。そんな印象を私は抱くが、この「夜明けまで強がらなくていい」という曲はその想像とは反対に、少し暗く重いイントロから始まる。きっとサビで華やかに盛り上がるんだろうなと思いながら、聞き流していた。そんなとき、ふと聞こえたBメロの歌詞に急に引きずり込まれた。

“誰に相談しても考え過ぎだと言う
自分をどうやって認めればいいのか?”

自分をどうやって認めればいいのか。この言葉は、最近進路に悩んでいた高校生の私にはドストライクな言葉であった。私には夢ややりたいことがこれといって無く、自分のアイデンティティ的なものが見つかっていない。周りの友人がどんどん自分の道を選んでいく中で、何も決められない自分を情けなく思っていた。だからこそ、この、“自分を認める”という歌詞は私には、「何も決まっていない決められない弱い自分を受け入れる」というふうに受け取れたのだ。
しかしながら、そういう答えのないモヤモヤ、まさに自分をどうやって認めればいいのだろう?歌詞のままだった。

”光はどこにある? 僕を照らしてくれよ
暗闇は 暗闇は 涙を捨てる場所
希望はどこにある? 生まれ変わる瞬間
夜明けまで もう 強がらなくていい”

暗闇は涙を捨てる場所。夜明けまで強がらなくていい。つまり、夜の間は誰も見てない(見えていない)からこそ、苦しい気持ちをありのままにしていいんだよ。ずっと気を張っている必要はないんだよ。彼女たちはそう歌っている。この歌詞が聴こえたとき、何か自分の中で“張っていた”ものが解き放たれた気がして、涙がボロボロ溢れた。彼女たちが自分の代わりに、駄目な自分を肯定してくれたみたいだった。

夜明けまで強がるということは、自分の前でも気を張り続けるということであり、弱い部分を隠して、虚勢を張って過ごすということだ。でもそれではただ苦しいだけで、根本的解決には繋がらないように思う。まずは弱い自分を認めてあげて、そのうえでその弱さとどう向き合うか考えることが大事なのだ。
この現代社会、他者との関わりは希薄になったとよく言うけれど、実際のところ、薄く広くなったのだと私は思う。昔は家で一人になればもう夜の間は一人きりだったはずなのに、今ではすぐに連絡が取れて夜中でも友人と交流してしまったり、ネットを通じて一日中人と繋がっていたり。そんな現代社会だからこそ、私たちは「張りっぱなし」の虚勢をゆっくり解く時間が必要なのだ。この歌は、そんな当たり前で大切な、でも忘れがちなことを思い出させてくれたのだと思う。

“朝日が見えて来た 弱音はもう吐かない
今日こそは 今日こそは 自分らしく生きる”

この曲の終盤。彼女たちは夜の間に自分の弱さと向き合った結果、ありのままを受け入れてどうどうと生きるという決意をしている。私はまだ自分の悩みに結論は出ないけれど、私と同年代の、私よりももっと不安定な社会で活躍する彼女たちと同じように、強く美しく生きていきたいと思った。

夜明けまでは強がらなくていい。私たちは、自由だ。

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