ひとつ残し

関東のひとつ残し。
こんな言葉がある。

皆さんの家庭は、どうであろうか。
我が家は間違いなく、ひとつ残し家庭である。
どんなものでも、最後に少し残っている。

我が家には、リビングにあるカウンターに、お菓子がよく並ぶ。
お土産、誰かが空腹の中誘惑に負けて買ってきた商品、色々とある。

しかし、家族の人数分、ぴったりあることは、そう多くない。
余りの分は、かなりの確率で子どもに回ってくるのだが、そうとも限らない。
子供の側も遠慮をして、あえて残すこともある。
結果、最後まで1つか2つ、必ずお菓子が残っているのである。

個数で分けられているものならまだ良い。
例えば、ポテトチップス。
最後はパウダー状になったジャガイモの残骸が、袋の底にちょこんと残っているだけだ。
それなのに、全員がこれを残すのだから、いつまでも、堂々と、カウンターにいるのである。

他人が食べたかったらどうしよう。
自分が食べて良いものか。
いろいろな思考があることは間違いない。

しかし、あまり生産的な行動とは言えないのではないだろうか。

今日、クッキーの缶に、例の如く、残っていた。
小包装ではないクッキーが、各区画に1〜2枚ずつ残っている。
家族全員がいる場で、これを分けることにした。
一瞬で気持ちよく、自分が食べたいものをみんなが食べられた。

もちろん、ひとつ残しは、遠慮の文化であり、心優しい感じがする。
ただ、時には自分の好きなものをさらっと食べても良い気がするのである。

しかもこれ、各家庭の色がありそうで、面白い。
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10月9日(金)
○エントリー進めた
○家族とランチできた
○ある話とうまく折り合いをつけた(noteに書くかも)
●片付けしようと思ったけどできなかった
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遅くなってしまった、しっかり寝たい。
では、また。

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