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地震と牙



 その場違いにおちゃらけたカップルに出会ったのは、街から信号機の灯りが消えた朝、スーパーの開店を待つ大行列に並んでるときだった。


 夜中に、かなり揺れた。寝ぼけた頭で反射的に飛び起きて、様子見するか判断する前に、睡魔に負けて寝た。

 朝起きたら、炊飯器が沈黙していた。プラグを確認したあと窓に向かったら、ベランダ越しの横断歩道も沈黙していた。マジか、と浴槽に水を溜めたあと、圧力鍋で米を炊いた。ちょっとべちゃっとしたご飯になった。

 旦那はいつも通り仕事に向かった。自宅待機の自分もひとまずいつものスーパーに向かったら、すでにだいぶ伸びた行列に出くわした。

 その日は北国の九月にしてはかなり暑い日で、まともに並んでたらヤバそうだなと、最後尾についたあとカバンから綿の風呂敷を出して、日除けに被った。

 開店時間を過ぎても、列は止まったままだった。後ろまで伸び切った人々もなんとなく事情は察していて、誰も文句を言わなかったけど、スマホを片手にひょこひょこ揺れる頭は後を絶えなかった。

 北海道全域らしいよ。復旧めど立ってないって。三日後に本震?水道も?十時から?ヤバ、LINEしとこ。

 そんな会話がそこここから聴き漏れてきて、ついでに自分のトークルームもぴこぴこ鳴り出す。適当にスタンプを返していたとき、すぐ後ろから「ピカチュウ」って単語が聴こえてきた。

 なんか、すぐうしろでカップルが、ゲーセンでとったピカチュウの話をしている。あっちこっちに話題が飛ぶ。あのクッション?あ、LINEきた。ドライヤーできないから乾かせないって。ウケる。つかシャワー浴びたん?水じゃね?んなこと送ってくんな節電しろバーカ。

 軽い口調。いつもなら細目で通りすぎる類の会話なんだけど、暇だし案外不快じゃないしで拾い聴きしていた。軽妙だけど、軽薄じゃない。少しの怯えが混じっているけど、楽観と達観で隠そうとしてない。たぶんこの二人は、強いんだろうな。

 そのうち、列がゆっくり進みはじめた。何買う?アイス食いてー。溶けるよ。溶けるよねー。

 その会話を聴いてると、不思議と炎天下で鈍間な行列に並んでることがあんまり気にならなかった。ときどき後列を確かめるフリをして、うしろを振り向く。ひとつの帽子を代わりばんこにかぶるスウェット姿のカップル。その後ろ三列ぐらいに並ぶ人たちにも、不思議とピリついた空気はなかった。

 一時間ぐらい経って、店の入り口の近くまで来た。マジ明日の夜勤どうなんだろな。何も言われてないの?いや入居者さんがさ……。

 そのとき、五列ぐらい前で突然人が倒れた。

 小さな人影だった。細い。女性。三歩ぐらいでその場に到達するのと同時に、周りで影がわらわらと動く。生憎こういう事態には慣れている。

 顔を見て大丈夫ですかと呼びかけたら、弱々しくも返事があった。下瞼を引っ張る。赤。橈骨動脈。触れる。足背はいいか。爪を押して色を見た後、手甲の皮膚を引っ張る。痕。まぁ、だろうな。一応神経学的所見もみる。

 なにやら大きなものが動く気配がして、見たらすぐ後ろでアイス食いてーと言っていた彼が、どっからかベンチを担いでやってきた。女性を取り囲む烏合の衆のなか、唯一狼狽えないで彼女を運搬を指揮する。まぁ、だろうな。

 本人の希望もあって、家族が迎えに来る代わりに救急車は呼ばないことになった。こちらもそれに了承して、また列に戻った。

 後ろを振り向いて、同じく列に戻ったばかりの彼にありがとうと言った。

「看護師さんですか?」
「いや、PT」
「PTさんですか。ありがとうございます」
「こっちこそありがとう」

 たぶん彼は、特別養護老人ホームで働く介護士だ。それも、かなりアセスメント能力が鍛えられた。

 列が進む。自分が店のフードをくぐる頃、店長らしき人があわただしく後列の人たちにお茶のペットボトルを手渡し初めているのが見えた。

 店員さんが買い物カゴを手に出迎える。彼女の案内を受けながら、薄暗い店内を一緒に回って、現金を支払った。

 お店を出るとき、もう一度だけ挨拶をしたかったけど、一つ後ろの彼と彼女の姿はそこにはなかった。

 家に戻って、買ったばかりの乾麺やウインナーをクーラーバックに放り込み、ベランダに出て腰を下ろす。電子タバコに火をつけた。

 ゆっくり息を吸ってから、長く吐き出す。柵越しに見えるディーラーの看板。その向こうにかかる雲が、竜みたいな形をしていた。

 いつもにはあり得ない、静寂の交通。代わりに普段よりよく聴こえる、道路脇のあいさつの声。

 さっき、余震があった。あの人とあの人は無事らしい。あの人とあの人の家では、水が止まっていないだろうか。食料は調達できているだろうか。

 彼らの話していたピカチュウのことが、少し気になった。

 目の前で倒れた人に冷静に駆け寄ったり。
 寄りかかっている壁がわずかにふるえただけで、片膝を立てたり。
 当たり前に生き延びるための牙が、こんなにも剥き出しだ。

 ニコチンに似せて作られた、白い蒸気をゆっくりと吐き出す。わかっている。本当は。

 ——自分だって怯えていたんだ。

 あのカップルに出会えて、良かった。竜の形の雲を眺めながら、またゆっくりと煙を吐き出した。



#フリーロードエッセイ   
2021/July №4
お題「待ち時間」

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作家・野田莉南さん(@nodarinan)主催の企画エッセイ。毎週土曜日21:00にTwitter上で発表されるお題をもとに、指定の文字数内でさまざまな作家さんが執筆します。

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