息をする

適応障害になったのは2021年の秋で、休職するまでの何ヶ月かは文字通り目が回って起き上がるのもつらい日々だった。
そのようなことを思い出したのは、3月に入ったあたりから少しずつそのときと同じような症状があったから。
とにかく朝がつらい。吐き気と眩暈で起き上がれない。夜中に起きて胃薬を飲み、トイレで喉の奥に指を突っ込み、何も吐けずに泣く泣く横になり、飲み物を飲んだり何か食べたり食べなかったり、した。
可能な限り在宅勤務をさせてもらい、それでも会社でなければできないことがあり、今日こそは、明日からは、来週になったら(突然元気になって人並みに働けるのだ)と考えて過ごしてきた。
被害妄想かもしれない、聞こえよがしに囁かれる「いない人とは仕事にならない」という言葉をギュッと目を閉じてやり過ごした。体調を崩したわたしの生活を誰が代わってくれるというのか。
励ましてくれそうな人に「励ましてください」と頼んだりもした。
過ぎてしまえばあっという間だったけれど、長い1ヶ月だった。

一昨日かいつだったか倒れて寝ていて、起き上がっては何か言い、また寝て、起き上がっては何か言った。
あとでそのときのことを思い出し「ひょっとしてわたしは「◯◯」と言っていた?」と訊くと「言った」という。「憎しみがある」と言っていたのだった。いまのこの状況に「憎しみがある」と。

そうか、憎しみがあるか。

何度も書いた通り、やらなければいけないことがあったので息も絶え絶えにそれをした。
やればひとつずつは片付いていったので「案ずるよりなんとやらだな」と思ったりした。廊下を歩きながら。
経験がないので想像になるけれど、易くないと思う。案ずるよりは良いのかもしれないが、易くはないんじゃないか。

あと1日だよ!
あと1日!
やった、やった、やった。

慣れたのだと思っていた。
危機的ではあったが切り抜けたのだと。
そうじゃなかった。
ほかにどうしようもないから耐えていただけだった。
何がどう悪いとか誰がとかそういうことはなく、単純に水が合わなかった。

なぜそう思ったと思う?
息が吸えたから。

異動先の部署で打ち合わせがあり、リモートではなく足を運んで参加した。
空気が身体に入ってくるような気がした。
息を、止めていたらさすがに、3年も息を止めていたら苦しいだろうけれど、わたしの呼吸は相当に浅かった。

わたしはこっちのオフィスで面接をしこちらで採用され、2年後に異動になり別の建物で働くことになったがまったく息をしていなかったようなものだったということに今日はじめて気づいたのだった。

息が吸えるよ〜〜〜〜!
息が、息が、息が吸える〜〜〜〜!

地球の長い歴史の中で今日ここで讃えられない預言者はいない。どんな有りようのことを語ったのであれあなたがたは正しかった。

『ザ・ロード』p321
コーマック・マッカーシー 黒原敏行訳

少し前に転職サイトから求人が送られてきた。
いまの勤め先で働き始めてから、仕事を変わろうと思ったことはなかったけれど、さまざま登録をやめた中でひとつだけそのままにしてあるサイトがある。
春が近づいてきたからなのかどうなのか求人が増えた。直接電話がかかってくることもあった。
さすがに申し訳なくなり「いまは就業中であり求人を必要としていない」ことを伝え、それとは矛盾するなと思いつつプロフィールに職歴や資格を追記した。
必要としていないと伝えているにも関わらず送られてきた求人をしみじみと読んだ。もう少しで応募しようとさえした。

どんな有りようのことを語ったのであれあなたがたは正しかったか。
うん。

早く4月になるといい。

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