見出し画像

3.11から10年。記録と記憶…。|福島を訪ねた時の話②

こんばんは。再びバンビです。
1日目のお話はコチラ↓から。

2日目の朝、ご一行のみなさんとしこたま飲んだ夜の翌朝でしたが
少し早く目覚めたので、朝風呂につかり双葉屋旅館さんの周辺を
散策しました。

小高駅

常磐線・小高駅。

画像1

朝6時ごろだったかな。
人気もなく静かだった。
震災当時、写真の左側まで海水が来たらしい。
海水は駅を越えることはなく、旅館は被害から免れたそう。

画像2

画像3

画像4

画像5

駅前には、心の駅というのが設置されていた。
仮説住宅が閉鎖されることに伴い移設されたもの。
被災された皆さんからの想いや願いが貼られていて、
今では駅利用者の憩いのスペースになっている。

小高神社

近くには神社もあった。

画像6

画像7

画像8

僕は、ここまで来ることに時間がかかってしまったことを神様に伝え、
ここで復興への願いをささげてきました。
近くにあったコンビニの店長さんが言っていた。
避難して離れていった住民の方で戻りたくても
怖くて戻れないとおっしゃっている方がいるとのこと。

そして、なによりもこうして、他の地域から来てくれることが
復興への第一歩だと話ていた。

母ちゃんたちに別れを告げ浪江町へ

出発の時間が来た。
一晩で仲良くなったとは思えないくらいの榮子さんと芳子さん。

画像9

参加者のなかで一番若かった僕は、
若い人から元気沢山もらって長生きしなきゃなと言われ、
ハグと握手でお別れをした。
絶対また会いに来るから!そういって旅館を後にした。

浪江駅

原発事故の被害にあわれた方のお宅へお邪魔する前に、
復旧作業中の浪江駅にも立ち寄った。

画像10

画像11

現在は、全線開通している常磐線。
この時は、まだ工事中だった。
そして今もなお、沿線の放射線量は大丈夫なのかと
不安になっている方が多いと聞く。

今野さん宅

浪江駅を後にした僕たちは、浪江町内にある、
今野 寿美雄(こんの すみお)さんのお宅へと向かった。

今野さんは、自身も原発で働いていた経験のある方で
このツアーに最初から参加してくださっていました。

今野さんは、現在も原発事故の補償問題についての
裁判に参加したり、いろいろな方へ
現状を知ってもらうための活動をしている

訪問当時、8年経った今も変わらない現状を見てほしいと
僕たちを招いてくれました。

画像12

この写真の左側の草むらのほうは、除染されずに
少し放射能レベルが高いそうだ。
そして、次の写真を見てほしい。

画像13

これは、庭先のヒイラギの木。
右下の2枚ほどは本来の形をしているが
その他の葉は、丸くなっている。これも放射能の影響だという。
こういった植物はあちこちにあると語っていた。

家の中にもあがらせていただきました。
そこには衝撃的な光景が広がっていた。
震災当時のまんま。

画像14

画像15

時計は、少しずれてしまっていたが、
自身が起きた時間をほぼさしていた。
新聞も当時の日付のまま、8年が過ぎていた。

画像16

お子さんのおもちゃもそのまま。
とにかく津波が、原発がという状況で
まだ小さいお子さんに大事なもの一つだけを持ちなさいと
言い聞かせたそう。

自分たちも混乱している中で、お子さんに言い聞かせるのは
大変だったと思う。
それでも、子どもを思う親の気持ちってすごいんだなぁ。
やはり、親は偉大な存在だと思った。

画像17

震災から時が止まっていた今野さんのお宅、
昨年解体されたそうです。
最初の写真でとなりに写っているオレンジ色のお宅は
建ててから2年での被災。

悔しい気持ちでいっぱいだったそう。
そもそも原発事故がなければ、
まだここには住めていたという話も聞いた。

今野さんは、避難先のいわきから何度となく通っていたという。

僕たち、関東に住んでいる人のために
使われていた福島第一原発。
今野さんたちに出会っていろんな話を聞いて
罪悪感というか申し訳さみたいな気持ちが強まった。

原発事故に対して自分が何か直接的にできるわけではないと思う。
でも、僕らが現地に出向き、いろいろな物を見たり
遊んで帰ってくることはできる。

この日の朝出会ったコンビニの店長さんの言葉にもあったように
こうやって温かく向か入れてくれる方々がいる。

今は、新型コロナの影響でなかなか出向くことが
難しいかもしれませんが
またいつか、その時が来たらこのツアーで出会った皆さんと
笑顔で再会したいなと思います。

それまで、どうか皆さんお元気で。

3.11…。忘れてはいけない日。忘れられない日。

最後に一曲

2回に分けた今回の記事、
最後まで読んでいただきありがとうございます。
最後に一曲紹介させてください。

復興への道は、まだまだ続きます。
復興したと言っても、今までの場所に戻れない方も
たくさんいると思います。

それでも、明日はやってくる。
そんな明日がいい日になりますように。
一日でも早く、復興事業が完了するように
祈りを込めて紹介させていただきます。

千綿ヒデノリさんの「祈り」という曲です。
この曲は、地震とは違いますが9.11のテロ事件のあとに作られた曲です。

僕は、震災後しばらくしてからなぜかこの曲が幾度となく頭に流れました。
「何を信じて 誰を恨んで 汚れのない広き空よ この痛みを包み込んで」
ここの歌詞が一番好きです。

ぜひ、一度聞いてみてください。

震災から8年経ってからの初の現地入りになったこのツアー。
ほんの少しの時間でしたが、いろいろな方たちに出会い、
お話を聞けて良かったです。

そして、福島のご飯もお酒もすごくおいしかったです。

僕にとって今何ができるって考えると、
やはり地元の物を買ったり、食べたり、遊びに行ったり
なんだろうと思います。

遊びに行くことは、今は出来ないけど、
福島に限らず、今後も復興の一助になるのであれば
そういうことをしていきたいと改めて思った
震災から10年たった夜でした。

(バンビ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?