傷つけた分、人に優しく


中学生の頃、こんな言葉をきいた。

僕が勘違いで同級生と喧嘩をした時だった。

喧嘩をした後、

勘違いだったと知り、

とにかく謝った。

体も痛いだろう。
それと、勘違いして酷い言葉を言ってしまって
本当にごめんな。

彼は僕のことを許してくれた。

そして、先生に喧嘩の理由を聞かれ

僕の勘違いでやってしまった。

謝りはしてけれど、
僕が彼の立場なら許すか分からない。

僕は人を傷つけてばかりだ。

と、思っている事を全部話した。

先生は、

そうなんだ。
反省してくれて良かった。

と言ってくれた。

僕は許されていいのか?

先生に聞いてみた。そしたら、

人を傷つけた分、人に優しくする事ができたら
先生はそれでいいと思うよ。

そう言ってくれた。

あぁ、そうなんだ。
なら、僕は優しい人間になろう。

本気でそう思っていた。

本気で先生の言った言葉を信じた。

信じていた。

今は信じていない。

信じられるか。

僕は世界の見方が変わった。

いつから変わったかは分からない。

が、あの頃見ていた世界と

今、僕が見ている世界は随分違う。

見方が変われば
捉え方、考え方が変わる。

話が脱線しそうなので、
戻します。

人を傷つけた分、
人に優しくする事ができれば、それで良い。

何が良いんだ?

何が良くなる?

人に優しくする事は確かに良い事だ。
優しくされたら嬉しいと思う人がほとんどだ。

だが、傷つけられたらどうだ?
嫌じゃない人なんていないだろう。

僕がボロボロになるまで傷つけられなければ

こうは考えなかったと思う。

だが事実、僕はそうとう傷ついた。
心も体もボロボロになるまで。

簡単に言うとするなら

A君を10傷つけた。
その後、A君に10優しくした。

A君の心は元に戻ったか?

いや、戻らない。

こんな感じだ。

それと、

A君を10傷つけた。
その後、B君に10優しくした。

A君は、何にも良くなっていない。

この時点で、あの言葉は否定される。

たとえ、A君に他の人が優しくしても
10優しくされるか分からないし
それ以上優しくされたとしても
A君の心が元に戻るか分からない。

なぜ、僕がそう言えるか。

僕がそうだから。

あの人に傷つけられた。

それ以上の優しさを他の人からもらった。
絶対にそれ以上もらっていると確信している。

だが、どうだ?

僕の心は元に戻りはしない。

なら、あの人から優しくされれば戻るか?

いいや、もう顔も見たくない。
声も聞きたくない。一生関わりたくない。

あの人から優しくしてもらったとしても、
気持ち悪いとしか思わないだろう。
本性が分かるのだから。

だが、感謝はしている。

あの人が僕を
ボロボロにしたおかげ?で、

noteに出会い、
世界の見方も変わり、
amazarashiに出会った。
そして、現実を見れるようになった。

まぁ、それ以上に
あの人のせいで苦しいんですけどね。


と、話を戻しましょう。

人を傷つけた分
人に優しくすれば良い。

この言葉を僕は否定する。

なら、どうすれば良いのか

人を絶対に傷つけない
そんな事はできない。

だけど、最小限に抑えよう。

それしかない。

正しさなんていらない。

僕はこうやって生きていこう。

と思いました。

できるかな。


最後まで読んでくれてありがとうございます。



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