CREEEEEEEEEEATion

映像制作こと、人生一番搾りの気持ち悪い汁。僕はそれが好きである。

うごくメモ帳の時代から、動画にドハマリしていた。
Southern Crossに合わせて棒人間が戦うPVとかレモンTさんの大ボケ日誌とか。vs棒人間シリーズとか100万あったらとか。成長期の脳が壊れるほど見た記憶がある。
そこからPSvitaでniconicoを見まくった。Bad Apple!!の影絵PVは今でもモノマネできる。
この頃にゆっくりムービーメーカーで動画を作ってみた。Minecraftの村人を埋めるという、箸にも棒にもかからない動画を一つ作って、すぐに飽きた。
しばらくしてPV合作にも出会った。素敵なキネポと濃い解釈を真っ向から食らってしまい、冗談抜きで涙が止まらなかった。僕もそうなりたいと思った。親類/友達全員にオススメした。
そのまま音MADに移行していった。人力vocaloidやUTAUに惹かれていった。「俺もこういうのやりたい!」と思ったけど、当時は映像制作もDTMも知らなかったし、何よりアイデアがなかった。とにかく悶々としていた。

そんなときに、これに出会った。

めっっっっっっっっっちゃ悔しかった。心底羨ましかった。異常な丁寧さと面白さになぜか心が囚われた。なんなら一回見たあと、衝撃的すぎて、しばらく見直せなかった。今考えると主な理由は二つだった。
一つ目はその題材にある。俺は音MADが好きだし、Haunted DanceもVRChatも知っていた。だから理論上、発想として思い浮かぶはずだった。それなのに僕は思いもよらなかった。
二つ目は技術力だ。もし思いついていたとしても、このような完璧な構成と展開を実現する能力が僕にはなかった。今も無い。完全に実力不足である。
だから私はもどかしく、悔しかった。「見返してやりたい」そう思うようになった。

だから、動画制作を始めた。
当時はaviutlを勉強していたが、難しくて断念。photoshopを使ってみたかった僕はAdobeCCを契約して、Premiere Proを触り始めた。そのうちロトブラシを使いたくなったのでAEに切り替えた。
音MADの勉強もした。自分のUTAU単独音/連続音ライブラリを作ってみたり、cakewalkを使い始めたりした。ただこれはすぐに限界を感じた。学生時代から音楽において引け目を感じていたというのもあるかもしれない。音MADを作る気力は無くなり、見る専になった。音MADについて妙に詳しくなった。

ほどなくして、映像制作の界隈が異質であるに気づいた。界隈、という表現は閉鎖的な世界を想像されるが、その上でそう呼ぶのが適切だ。
野心を抱えた人々が血反吐を吐いて連日連夜没頭している。「人生壊れてきてない?」みたいな人もいる。他人の作品に毎日食らって、他人を作品で毎日刺す世界。コンスタントに綺麗な作品を出す人もいれば、年単位で練り上げた狂気を一瞬で爆発させる人もいる。全員タイプが違うコロシアムだ。異常である。
しかし、だからこそリスペクトがある。内心煮え繰り返った嫉妬を抱えながらも、それはその作品が素晴らしかったからだと理解し、讃える。嫉妬心をあますことなく創作の原動力に回す。そして作品を出して、また食らう。狂気のリサイクル。
僕はそれに敬意を表した上で、自分なりに傾倒していった。

人生は着実に壊れた。実力もつかなかった。本物の天才に出会った。嫌な気持ちになった。創作を通してできた仲間は全てライバルで、そんな友人関係に鬱屈していたときもあった。人生は半壊だし、身を助くほどの一芸にはなり得なかった。客観的に見れば、失ってばかりだ。
でも今、こうして振り返ってみると、爽快だ。やりきった感覚がある。もちろんこれはバイアスかもしれない。錯覚かもしれない。しかし、自分なりに表現したいことは全てできた。例えば人間2人の異常な関係を妄想で変形させてみたり、もっと評価されるべき人間を大胆に称えてみたり。大衆向けからマニアックまで、自分の手の届くものは全部触った。
すると、色んな人に出会えた。憧れていた人から、その逆まで。今でも寝る前に、時たま思う。「自分はなんてところに来てしまったんだろう」と。身の回りには素敵な人だらけで、その中に俺がいる。
それを見て、ああ、やりきったな、と思う。

しかし、僕はこれからもきっと創作を続ける。なんでだろう?コレが尋常じゃないほど苦しく辛いのに。
映像制作こと、もどかしさと屈辱感を抱かせるディスペンサー。僕はそれが嫌いである。
でも、続ける。僕はこれがアイデンティティであり、このハリボテなしでは自分を語れない。その中で、一瞬刺すゴッドレイみたいな、きらめき。今の僕の場合はそれが人や感動だ。それを追求し続けてしまう。どんなに不格好でも、どんなにどうしようもない自分でもいい。何もやらずに「こんなん簡単じゃんw」と一笑に付す奴よりかは、僕の理想に近い。
とにかく、僕はやり続けてやる。全てに挑戦する。全部の気持ちを理解する。その上で、僕の人生の目標を達成する。すなわち、他人を尊重できるようになる。遠回りな理想論だけど、それが一番、素敵だと思う。

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