幸せなことが不幸なことよりも人を傷つけるか。それは私には断定しがたいことだと思う。不幸な境遇を嘆く人も、幸せな生まれを喜ぶ人も、それを見た人にどんな感情を与えるかわからない。嫌悪感を想起させる場合も、幸福感を想起させる場合もあるだろう。
とはいえ、他人に迷惑をかけるからといって自重するのが必ずしも良いことでもない。行きすぎた配慮は、時に存在しない人にさえ気を配る。そのような無意味なことはする必要がない。
結局、常にバランスを探るべきだ。時には過度に進み、そして時には不必要に戻る。その揺り戻しの繰り返しに、最適な比率を追求するべきだと考える。

さて、ここまでの前置きは次の文章のためである: 今回は幸せな家族の話が出てくる。もし「家族」というものに対して精神的に準備が整っていない人は不快に思う可能性がある。そういった人にはこれを読まないことを推奨する。
今まで私の書いた文章でこういった配慮は行なっていなかった。それはもとよりこれらの文章が自分もしくは自分のような他者の救済を目的としていたからである。そして、今からの文章もまた、それらを救うための文章である。そこに余計なノイズが入ってしまうと、純度が落ちてしまい、目的を果たせなくなり得る。よって私はあえて注意を払わなかった。
ただ「家族」に関しては、誰しもが持っている原体験と共鳴することが想像に難くない。場合によっては気が動転するほどに。
今までこうした注意書きをしなかったが、今回だけは例外となる。解釈によってはダブスタであり自己満足だが、とにかく心が間に合わない人はすぐに距離をとってほしい。

では、以下は家族の話である。それも、私の。

家族に恵まれていた、としか言いようがない。
これは親が裕福だったとか優しかったとか、そういう端的な言葉では表現しがたい。ただ、それでも言葉を選んで言うなら「キズを隠し通してくれた」が最も近いと思う。
どうしても人間は生きている限り欠損やトラウマを持っている。それは時に他者へ牙を向く要因になる。あまつさえ相手は日夜寝食を共にする子どもで、自分の細胞から作られた生命体だ。人によっては子どもを自分の所有物として意のままに操ろうとするかもしれない。それは許されざる行為だが、自分がそうしない理性の持ち主かと言えば、無責任には肯んずることはできない。
私が思うに、父も母もとりわけキズが深い人であった。二人とも、子供の愛し方さえわからなかったと思う。
加えて、私が過ごした故郷はいわば退廃的な場所だった。地域の考え方がステレオタイプで、根底には過去の因習が残っている。年長者を喜ばせるために子どもを動員する。声の大きい人がいつも正しい。だから子どもを虐げることもできたはずだ。それも、いとも簡単に。
でも、両親はそれをしなかった。
歪ながらに愛してくれた。もちろん、その愛し方がずっと正しかったとは思わない。間違っている時もあったと思う。でも、それは抱きしめる力が強すぎただけのこと。その動機にはいつも愛情があった。
実際、それは私のよりどころであり続けた。
子供の時分、私は運動が苦手だった。先述の通り、私の住んだ地域はマイノリティに厳しかった。早朝からのスポーツの練習は強制参加で、毎朝自分は無力を思い知らされた。それなのに、自分が得意であった勉強はどれだけ頑張れども「塾行ってるから」で褒められない。公文という課金アイテムに頼っているガキよりも、無課金勢の純粋無垢な子どもの方が優れているとされていた。そんな不条理に連日晒された当時の自分は、世界が灰色に見えていた。
それでも両親は変わらず、私を愛してくれた。誰も見てくれない勉強の努力を褒めてくれた。学校に行く理由はもはや親に報いるためでしかなかった。それほど親は揺るがない存在となってくれていた。

私がこの文章を書いた理由は救済だと先ほど述べた。しかし、今回に限ってはそれ以外も含む。
私はこの2人を記すべきだと確信していた。必ず残すべき記録だと考えた。なぜならこれは並大抵の努力で為されることではないからだ。彼らは自分のキズに酔わず、淡々と義務を果たしたのだ。
もちろん、キズを隠し続けることが常に正しいわけではない。適切に対処して、治療することも必要だ。時には人を頼るべきだ。しかし、未熟な子どもにキズを押し付けることは望ましくない。ただ、それがわかっていてもできない人が数多居るのもまた事実だ。
その上で私の両親は一貫して愛を絶やさなかった。これは私が一生かけて感謝すべき事実だ。だから今日、ここにそれを残したかったのだ。
自分が今後彼らほど高潔になれるかわからない。だが、その意思は必ず受け継ぎ、自分の精神の研鑽を続けなければならない。それが私の義務である。

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