舘野ゼミはなぜNoteを投稿するのか?〜記事を書き、読むことの意味について考えた1年間〜
みなさんこんにちは!お久しぶりです!3期生のゆいこです♥️
10月も半ばに入りましたが、みなさんいかがお過ごしですか?
急に涼しくなって、もう2023年も締めの時期が近づく実感が沸きますね。
大学生のみなさんは、夏休みが終わって秋学期を忙しく過ごしていることでしょう^^
舘野ゼミ3期生は今学期も春学期同様、授業の振り返りを毎週投稿していきます!(舘野ゼミが何をしているのか知りたい、ゼミ選びで悩んでいる1年生の皆さんは、アカウントをフォローして読んでみてくださいね💕)
Note活動を活発化させてきた舘野ゼミ
これまでの記事を読んでくれている方はご存知かもしれませんが、少し前から4期生(現2年生)も、このNoteアカウントに記事投稿を始めました。
去年の秋ごろに3期生の3人で本格的に始めたNote毎週投稿ですが、
1年経った今、期を超えて活動しているわけです。
初めの頃、1ヶ月以上悩んで1つの書評を書き上げ、心配しながら最初の投稿をした時のことを思うと、なんだか感慨深いです….笑
さて、今回は、
そんな舘野ゼミNote係3期生のゆいこが、「なぜNote毎週投稿を始めたのか?」そして、投稿を続ける中で気づいた、「舘野ゼミがNoteを投稿する意味」について書いていこうと思います。
ぜひ、最後まで読んでみてください!^^
なぜNoteをやろうと思ったのか?
私は、舘野ゼミに入った当初「舘野ゼミってなにが学べるの?」
そんな質問に「えっと…」と、はっきり答えられないゼミ生でした。
体系化されきった学問はここでは学べない。だけど、ユニークで貴重な経験をし、たくさんの学びを得ることができるゼミだということは確信していました。
なのにそれを言葉にできないモヤモヤ、そして現状ではゼミ生の誰も何を学んでいるのか言葉にできないのではないか、というそこはかとない危機感。
そんな思いがどうにも消えませんでした。
そこで、「学びを言葉にしてしっかりと発信する」ため、Noteの活動を本格的に行う係を始めました。
投稿当初「舘野ゼミの学びをもっといろんな人に知ってもらいたい!」という目標に向かって、たった3人で毎週記事を投稿していました。
半年経つ頃には最初と比べると、閲覧数も格段に増加し、この活動の重要性は係のみならずゼミ内全体に広まっていきました。特に3期生のみんなは、係の数人でやるより、みんなで協力した方がいい、と、全員持ち回り制で投稿してくれています😭✨
そして係が4期生にも受け継がれつつある今、改めてNoteを投稿する意味について考え直し、残しておこうと思ったのです。
書くことによって育まれる力とは何か
ここからは、私がNoteを書くことで感じた「一番の活動目的」についての話に移っていこうと思います。
日本語の表現を豊かに
私たち人間は考えたことを言葉にして他者に伝えることができます。
言葉があるからこそ、コミュニケーションが取れるのです。
最近では言語コミュニケーションよりも表情や態度の方が、より多くの情報を伝えていると言われたりしますが、言語をより上手く扱うことは、自分の考えを他者に正確に伝える上で最も重要です。
特に、「記事を書く」には言葉をうまく使うしかないですから、こうやって記事を書いて物事を伝える練習をするのは、日本語の表現を豊かにする上で非常に意味があります。
「書くことで、語彙、表現のレパートリーが増える」
確かにこれも、舘野ゼミがNoteに記事を投稿する意味の一つです。
しかし私は、また別の力が「書くこと」にはあると思っているのです。
”初めにことばありき”
みなさんこの小見出しのフレーズに、心当たりがありませんか?これは、高校現代文の教科書、国語総合に載っている、鈴木孝夫氏による評論文「ものとことば」です。
もしかしたら同い年ぐらいの方は「あー!」と思ってもらえたかもしれません笑
この評論文では「机」を例に取り上げて、”言葉はものをあらしめる”ことの説明をしています。少し紹介しますね。
みなさん「机」と聞いて何を思い浮かべますか?
四角い板に脚が4本ついていて、作業ができる台?
それとも丸い板に脚が1本だけついている台でしょうか?
地べたに座ってその台の上で作業ができるなら、背もたれがついていたとしても
それは「机」でしょうか?
はたして、「机」は、「机という存在」につけた”名前”でしょうか?
私たちは言葉を使い、世界に溢れる物事に名前をつけて呼んでいるように思えますが、実際はそうではない、と言語学的には考えられている___
「ものとことば」には以上のように説明されています。
(これは唯名論といって、実念論と対立する理論のようです。)
言葉が先でものが後だとしたら
ここからは、多言語間の翻訳という場合においての例を挙げ、
さらにこの理論の裏付けをしてみようと思います。
例えば、日本人は「水」と言えば、触るとひんやり冷たくて、蛇口から流れる無色透明な液体を思い浮かべるでしょう。
しかし、英語話者は「Water」と聞いて全く同じものを想像するわけではありません。コンロからおろしたばかりのやかんの口から注がれ、もくもくと湯気を放つその姿。
日本では「お湯」と呼ばれるものも、基本的には「Water」なのです。
私たちからすれば、水とは似て非なるものですよね。
こんな例は水という名詞だけに限りません。
いろいろな言葉、名詞や動詞が、同じ事柄を指しているようでそうではないのです。
ものが先なら、aというものにはAという名前を、bというものにはBという名前をつければいいけれど、そうはいかない。言葉が違えば、違う世界が見える。
私たち自身が森羅万象を勝手に区別し、それを言葉で指している。
高校1年生の頃の私はこの考えにひどく納得して、それ以来私のことばに関する思考の核部分となっているのです。
(色々書きましたが、私は言語学に明るいわけではないので、ここに書いてあることが全て言語学的に正しいわけではありません。ご容赦ください><)
言葉にできない=わかっていない
少し話が長くなりすぎてしまいました。
つまり、小見出しにある通り、言葉にできないものは認識できていないのと同じではないか、ということです。逆に言えば、「言葉にできる=わかっている」ということです。
「すでに名前が付けられた学び」がひとりでに目の前に現れて、私たちの認識の中に入ってくるわけではありません。
「今日のゼミとっても身になったなあ!」そう思っていても、
「へえ!どんなことを学べたの?」と聞かれると、
「えっと、なんかすっごい人が講習に来てくれて、貴重な時間だったし、いつもは聞けないようなことが聞けて、、、」と、
具体的に何が自分の中に残ったのかをはっきり言葉にできない。
そんな感じでその日を終えて、そのあとは、学びを意識するわけでも、
何かが変わるわけでもない日々をなんとなく過ごす。
そんなことありませんか?
新たに学びを得るためには、自分からその事柄や体験に意味付けをし、言葉で説明することが必要です。
自分の思考世界にその日学んだこと、学期を通して得たものに名前をつけて残す。それを外に書き出してみる。
そうすればまたその言葉が目から情報として入ってきて、
より鮮明な形になって自分の中に落ちる。
このアクションを行うことこそが、舘野ゼミNoteの一番の「活動目的」だと思うのです。
私は、舘野ゼミ生には、表現の方法を学ぶ、以前に、
「どう文章にするか?」「私はなにを学んだのか?」「どう成長したのか?」と、考え、自分のものにするためにこのNoteの投稿に向き合ってもらえたらな、と思っています。
言葉はその人から”生まれる”
ここでは、「書く」ことに関連して、「読む」ことについても少しだけ書いて、
終わりにしようと思います。
思考世界を覗き見する
言葉は物事を伝えるツールではありますが、実際に起きた事象だけを伝えることは至難の業です。
ネットニュースや新聞記事を読んで事実を知ったような気になりますが、その言葉や文は「筆者」から生まれています。
これも前述のような考えの通りにいけば、起きたものをそのまま説明しているというよりは、ものを認識し、言葉によって作られた筆者の思考世界を書き出しているようなイメージに近いです。とくにこういったブログ形式のものはそうです。
言ってしまえばこの記事に書いてあることも、「舘野ゼミ3期生ゆいこの認識」をみなさんは覗き見しているだけで、ほとんどが事実ではないかもしれません。
つまり、この舘野ゼミのNoteは「ゼミ生の思考世界を書き出している場所」ということになります。
舘野ゼミがどんな授業をしているのか、どんなプロジェクトで活動しているのかを文字ベースで知ってもらいたいというのはもちろんですが、一度、
「舘野ゼミ生はその体験から何を得たのだろう?」
という視点で見てみてください。
そして、今後記事を書くことになるゼミ生の皆さんは、
「私は何を学び、伝えたいのだろう?」ということを考えてみてください。
おわりに
まず、ここまで長い記事を読んでくださってありがとうございます。
今回は舘野ゼミがなぜNote投稿をここまで大事にするのか、ということについての考えを一ゼミ生の私が書いてみました。
日本語の表現を豊かに、語彙を増やす、ということだけでなく、
「書くことで思考する力」を育むことが、この活動の大きな目的であるということが伝わったかなと思います^^
自分自身がよく考えるため、ゼミ生の学びをより強固なものにするため、舘野ゼミは今後もNoteの活動を続けていきます!
この記事に共感してくれた方はぜひこの公式アカウントをフォローして、
来週の振り返り記事でゼミ生の思考世界をのぞいてみてくださいね^^
それでは、また来週!
引用:
鈴木孝夫 「ものとことば」 国語総合 数研出版
コトバンク https://kotobank.jp/word/唯名論-144573#:~:text=ゆいめいろん【唯名論%20nominalism,post%20rem〉生じると説く%E3%80%82
文:立教大学経営学部国際経営学科3年 湯浅結衣子
絵:立教大学経営学部経営学科3年 浅岡美穂
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