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ネーパルの田舎で100km逆走と40度の発熱

カトマンズに到着した私は、翌日にインドの国境近くにある街、ネパールガンジへ移動した。そこから100kmほど離れた村で医療活動を行う知人のNPOを訪問することが目的で、村には3日ほど滞在する予定だった。

カトマンズ→ネパールガンジ便は、朝イチだったため機内がキンキンに冷えてめちゃくちゃ寒い。でも窓に映る雪を被ったヒマラヤ山脈を見てテンションがあがり、しばし寒さも忘れることができた。だんだんと景色は赤々とした平原へと変わっていき、1時間ほどでネパールカンジに到着した。

うっすらと映るヒマラヤにテンションがあがる

平原を100km逆走、9時間のドライブ

ネパールガンジの空港から村までタクシーで移動した。目的地まで200km、3時間ほどの道のりだ。タライ平原と呼ばれるこのエリアでは肥沃な土壌が広がり、酪農や穀物がとても盛ん。タクシーの窓には水牛や農業に勤しむ人々の姿が映り続けていた。「こんな素朴な風景をいつまでも眺めていたいなぁ……」とすら思った。

12:00頃に目的地へと到着するが、知人の姿が見えない。周囲を探しても関係者は見つからない。電話がつながると、なんとわたしは全く逆方向にあるとても似た名前の村(Rajapur村)へ到着してしまっていたことがわかった……。たしかにRajpurとRajapur、とても似ているからドライバーをそこまで責められない。

そこから本当の目的地まで約200km。同じ道を戻ることになったのだけど、行きにぼけーっと感じていた「ずっとこの風景を眺めていたいなぁ」という気持ちは一切なくなり、「もうこれ以上、違う村に連れて行かれませんように……」と願う気持ちでスマホを握っていた。

行きは穏やかな気持ちで眺めていたこの風景

5時間かけてようやく本当の目的地に到着。時刻は17:00を過ぎており、出発から9時間かかった。予定していたNPOの活動見学はできなかったけど、無事にたどり着いただけで安堵した。村の近くにあるホテルにチェックインし、その日はNPOの方々と食事を楽しんだ。見知らぬ土地で日本語を話せることは安心する。

ネパールの辺境で40度の発熱

その日の夜、なんとなく喉がイガイガしはじめた。実は日本出発時から風邪っぽかったので、それに移動の疲れと排気ガスが重なったのだろうか。うがいをして、「朝になったらなんとかなる」と早めに寝た。

この「なんとかなる」という希望は、翌朝に割りとヤバイ咳に変わり、昼過ぎにはあのいやーな寒気へと変わる。もうれっきとした発熱である。

以前にラオスで風邪を引き、現地の適当な抗生物質を飲んだら悪化した経験から、今回は薬を飲まない・病院にも行かないで自力で治すことにした。(ちなみに感染症の場合は病院へ行くのが鉄則です)

ホテルのお兄さんに発熱を伝え、ペットボトル水5本と湯沸かしポットを手に入れると、臨戦態勢に入る。蒸しタオルで首ねっこを温め、呼吸法で代謝を上げ、ツボを押す。とにかく熱を出すことに努める。

水分をたくさんとり、栄養はビタミン剤とダルスープから得る。風邪の間に「自分はいまネパールにいる」という実感が湧いたのは、ダルスープをすする時間だけだった。

ありがとうダルスープ

丸一日40度が続いた翌日、熱はぐっと下がった。身体がとても軽い。ホテルのお兄さんが出してくれたチヤ(いわゆるチャイ)がいつもより甘く、スパイスも香ばしく感じられた。

旅先の風邪に必要なものは現地調達

風邪気味で海外渡航は危険だと身をもって経験したと同時に、海外で不調になったときに必要なものは「水(お湯)、清潔なホテル、親切なスタッフ」だと感じた。ホテルのスタッフには面倒をかけてしまったけど、嫌な顔せず「大丈夫?必要なことがあればなんでも言ってね」と接してくれた。この安心感はとにかく大きい。もし不衛生な宿で不親切なスタッフだったら回復してなかったたと思う。そして水・ホテル・スタッフは、現地で調達できる。というかするしかない。

ありがとうホテルのお兄さん

また、あれば便利なのは「ポカリの粉、ビタミン剤、ガーゼのマスク、ミントかティーツリーオイル」。ポカリの粉をお湯に溶かして飲むと、本当に救われた気持ちになる。ビタミン剤は栄養失調を防ぐため。ガーゼのマスクは喉を乾燥から守ってくれるのであったほうがいいけど、海外にはあまり売ってない。アロマオイルは胸元に塗るとスーっとして気持ちいいのでおすすめ。

そんなこんなで2日ほど寝込み、現地到着から4日目にようやくNPOの活動拠点の訪問が実現したのでした(次に続く)

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