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今帰仁グスクと古宇利島で感じる沖縄の昔と今(沖縄旅vol.4)

那覇からバスに揺られること約2時間。到着したのは、那覇よりずっとのんびりしている沖縄第二の都市、名護だ。ここに来た目的は、今帰仁城址(グスク)へ行くこと。元々、遺跡にはそこまで興味がなかったけれど、写真で見たグスクに「こんなものが日本にあるのか」と驚き、ぜひ訪問したいと思ったのだ。

琉球の人々も山を眺めていたはず

グスクには日陰がないと思っていたから、早くに出発して開園直後には到着した。バス停から15分の登り坂を歩いている途中、後ろから「乗っけてってやるよ」と近所に住むというおじいちゃんが軽自動車でピックアップしてくれた。この暑い中、歩いているのを見て車を出してくれたらしい。有り難い……

到着すると、さっそく石壁がぐるっと立ち並んでいた。写真で見たグスクだ。こんな巨大なグスクを一つ一つ人の手で造ったのだと思うと果てしない。グスクの奥のエリアに入ると階段があり、右手には山が見える。

琉球王朝よりも前の時代、ここは山岳信仰だったんだろう。グスクから見える山はとてもたおやかなで、山に抱かれている感覚すら覚えるのだ。以前に訪問した三輪神社や出雲大社のような、山に対する畏敬の念というか、「今日も山は元気かな」と様子を伺えれるような距離にグスクが位置しているような感じがした。

さらにグスクの奥へ行く。この緻密な石造りは、メキシコやマチュピチュを思い出す。日陰がないと思っていたら意外と木々があるし、少し下ると中庭のようなものすらあった。数カ所、御嶽もあった。御嶽を拝んでいると、海風がふっと流れてきて気持ちが良かった。

グスク全体は1時間もせず見て回れた。併設されていた資料館も、なかなか面白かった。今帰仁の人々の暮らしや、昔の道具も展示されていた。今では黒糖の名産地として有名なここ一帯は、戦後直後までは米作りもしていたけど、大型台風がきっかけで一気に米作をやめてしまったという。

沖縄の縮図のような島

さて、グスク見学も終わり今帰仁の中心部に戻ると時刻はまだお昼前。昼食を食べてもお釣りが来るくらい時間が余っている。でも名護に帰るには早すぎるな……と考えていると、「古宇利島行き」のバスを発見。島行きのバスっていいじゃん!と直感で乗り込んだ。

まずGoogle mapで表示されていた「人類発祥の地」というのがとても気になったので、それがあるシラサ岬に行ってみる。いわゆる沖縄版のアダムとイブのような、イザナギとイザナミのような、国生まれ伝説の舞台だ。

シラサ岬は岩の洞窟があり、それが海と繋がっているからちょっとした探検ができる。人も少ないので30分くらい遊べた。

それから古宇利島を半周してみる。ここはかなり観光客で賑わう島だ。ビーチには人、その前に並ぶオシャレなバーガーショップやカフェにも人。今帰仁より賑わっていた。

帰りのバスの運転手さんと世間話をしていると、古宇利島の変遷を教えてくれた。いわく、18年前に本島と結ぶ橋ができてから、一気に観光地化されたのだという。それ以前は船で往来していて、観光などなかった。そしてビーチは埋め立てられ、リゾート開発がなされ、中国や韓国人観光客でごった返したのだそう。特に観光客と島民の交通事故は多発しており、今でも行政は頭を悩ましている。などなど……

それにしても、この運転手のおっちゃんはよくしゃべってくれる。古宇利島に生まれたけどあまりに不便だから一家で那覇へ行き、自身は大阪で働いて名護に戻ってきた。アメリカ占領から本土に復帰してよかったのは、本土に行く際のパスポートが不要になったことだけ。それ以外、特に軍事施設については、どうして?という気持ちだそう。

そんな話を聞いていると、この島は沖縄の辿ってきた変遷をぎゅっと圧縮しているような気がした。元々は地元の人々がのんびり生活していたところ、一気に観光地化され、オーバーツーリズムが生まれる。観光で利益を得られるのは一部、しかも大半は外資であって地元ではない……そんな姿がぴたりと当てはまったのだ。

そんなことを考えていると、バスは名護の中心部に着いていた。今日はグスクから流行りの島まで、色んな時代を巡った気がする。



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