陳腐

稚拙ながら

陳腐

稚拙ながら

最近の記事

またふりだしに戻っちまったな〜

どうしようもなく過去も未来も切り捨てたくなる夜、わたしは大体 冷たい床にたおれて無機質な天井を見つめ、子供のように泣き叫ぶ。いやだよくるしいよ、わたしにはもうむりだよ、そしてなんとかしてなんとかこの気持ちを消化しなきゃって、わずかな希望を求めて、音楽をきく。 まだそれだけでも、わたしは救いがあるとつくづく思う。救われたいんだな とも それもほんとう情けない、死にたいのか生きたいのか自分でもわからない。 昔から自傷癖があって、ここ最近は癖というほどでもなく頻度もどんどん減

    • 本当どうでもいいよね

      妙に肝が据わっていて、いつもの帰り道がはじめてのように思える。 それは何も喜ばしいことではなく、何もかもがどうでもよくなるような そんな絶望が顔を出している証拠だ。 金を稼ぐためにしているバイトとか、狭い人間関係とか、絶対に叶えたい夢とか憧れのあの人のこととか、自分を形成してるものがどうでもいいというより、ただ、自分のことがどうでもいい。 自分が我慢すれば事が収まるだろう と信じていたし、わたしなりの善意で そうすることで周りを大切にしてきたつもりだ。 でも、この意地汚い

      • 寒さ厳しき折いかがお過ごしでしょうか。

        風邪薬を常飲するようになったのはいつからだろう。なんだがずっともさったい。目が覚めると外はもう真っ暗だった。外の気温はわからない、でもわざわざ調べようとも思わない。それくらいの気持ちで、気分で、夜の道を歩いた。突拍子もなく外に出たので薄着で出てきてしまった。冬の冷たさが肌に刺さる。いつもの歩道橋から道路を眺めた、見惚れるほどじゃないが、わたしはこの歩道橋から眺める景色がきらいじゃなかった。車の光の集合体がやけに綺麗に見えるのは、きっと病んでる証拠だ。空を見上げれば満月だった。

        • 過去はどうしても美しくみえるけど

          年齢によって聞く音楽は変わる。 その時に置かれた状況 自身の価値観と気分、そんなものによって毎日なんとなく聞きたい音楽は違う。1ヶ月前に狂うほど聞いてた曲を今は存在すら忘れるくらい聞かなくなっていたり、逆に同じ曲を何度も何度も聞いていたり シャッフルで全く知らない曲が流れてきていいなと思ったり、新しい音楽と出会う瞬間は堪らなく心が踊る。これがライブだったら人の上を転がってる自分が想像できるくらい。 数年前から熱狂的に好きだったバンドを、今はあまり聞かなくなった。冒頭にも

        またふりだしに戻っちまったな〜

          色鮮やかに映し出す

          どんなに幸せなときも、どんなに満たされているときも、私はその状況での“最悪”を想像してしまう。 もしこうなったらどうしよう、とか、 あとでもっと不幸なことが起きるかもしれない、だとか。最悪の未来ばかりを想像する。 幸せなはずなのにな、充実してるはずなのにな、なにがそんなに不満で、なにが私をこんなに不安にさせるの。向き合わなくていいマイナスな感情をわざわざ覗いてしまう。 最悪の未来、この先に起こる不幸せ 。 考えたくないのに考えてしまうのは、何度も“幸せ”に裏切られたから

          色鮮やかに映し出す

          孤独は、時に私を罵り、時に私を鼓舞する。

          オレンジ色に包まれる空も、 真ん丸の夕日を映し出す海も、 そよ風と草木が触れ合う音の心地良さも、 見上げれば無数に光っている星も、 この街にはない。 上京して2ヶ月の月日が経った。環境が180度 いや、生きる水準が180度変わった。ここにきて、変化に応ずる感情と向き合うことを避けてる気がする。 お笑いや映画 ライブなど創作物がとにかく好きな私は、ハイペースでその会場へと足を運んでいる。ただ好きだからという理由も勿論あるけど、異常といえるほどの頻度だったと冷静になった今 少し

          孤独は、時に私を罵り、時に私を鼓舞する。

          for a

          私が誰かに感じる第一印象は、あなたに似ている、ばかりだ。 どこにいて何をしているのかもわからない。 あの時私があなたに言えなかったこと、分かってあげられなかったこと、だけど、本当は伝えたかったこと。 ただその言葉達が、今もまだここに置いてかれたまま。 私にたくさんのものを与えてくれたあなたに、私は何か与えられていたのだろうかと、そんな問いが浮かんでは消えてを繰り返す。 そんな大事なことさえも、会えなくなった今にしか考えられない私はとんだ馬鹿だと思うけれど。 これから

          らしさが許される世界なんてなかったよな

          痩せたらモテた垢抜けたとか美白とか女子力とか、結局ありのままを受け入れてくれる世界なんてどこにもなかった と思う。 そりゃ努力して理想を叶えられてる人はすごいし その過程自体が素晴らしいことだと思うよ。理想を持つこと自体は悪いことじゃないしね。でもテレビも広告もSNSも全部、口には出さないけど暗黙の了解で定まっている“美の定義”みたいなのが見え透く瞬間が苦しくてさ もう誰も言ってくれないから、私が言うよ。 あんたが思うあんたのコンプレックスも短所も最高だよ。痩せてても太っ

          らしさが許される世界なんてなかったよな

          見えないものを見る。

          「人は見たいようにしか見てくれない」 “流浪の月”で更紗が言った言葉。理解できないものは排除したい という人間の臆病さ。拙さ。 悲しいことに、幼い子供を誘拐するとか 性的虐待をする事件などは世の中に溢れている。誰だってあってはならないことだと思い、犯人を憎む。私もだ。でもここで少し想像してみる。 心理学的に、ロリコンといった 幼い子供を性的な対象とする人たちは「自分を認めてくれるだろう」という期待からだそう。「この子なら自分を認めてくれる」という気持ちは、普段からどこかで

          見えないものを見る。

          ブルーの香りとピグマリオン

          また妙な時間に寝てしまった。ガチャガチャと食器と食器が触れ合う音で目を覚ました。薬の名残りのせいか 目を開けてられないほどの眠気が私を襲う。今日の晩御飯はなんだろう。薄暗い空が目に入った。私は、こうやって死んでいくのだろうか。何も手に入れないまま、欲望に負けたまま。次から次へと追いかける不安は 私を捕まえて離さない。目を閉じる。最近、こんな事が多い気がする。現実と向き合うのが嫌で、眠くもないのに目を閉じる。寝ていたら何も考えて済む、それが楽だった。考える ということに疲れてい

          ブルーの香りとピグマリオン

          私の憂鬱を聞いてよ、ねえ、

          ずっと死にたいと思ってたことがある。今日死のうかなとか、今日も死ねなかったなとか。そんなことを毎日。 私より不幸で 私より過酷な環境に産まれた人が必死に生きているのにって、思ったことないわけでもない、私だけが辛いなんてそんなことないのは分かってる。でも自分の不幸だけが、絶望だけが、あまりにも大きく見えて、希望も、大切な人の顔も全て浮かばなくなる。 何か精神的な病気なのかもしれない、この考え方は歪んでいて、一般的ではないのかもしれない。普通とはどこかかけ離れているのかもしれない

          私の憂鬱を聞いてよ、ねえ、

          目まぐるしく過ぎる日々の中で

          バイト行って帰って、適当にスマホ見ながら時間に身を任せて、眠くなったら寝る。 最近の私はといえば、そんな毎日を繰り返していた。半年ぶりにバイトを再開して、慣れない仕事と生活習慣の中、正直 体をついてこさせるだけで精一杯だった。時間の管理もろくにできてない。 それで今日、何ヶ月か前に録音した自分の歌声を聞いた。イヤホンから聞こえる私の歌声は、うまくはないけれど楽しそうで。あ、私、これのためにやりたくないこともやってるんだ、って。 私ちょっと忘れちゃってた、大切なこと。目ま

          目まぐるしく過ぎる日々の中で

          モヤを拭える人

          対人関係は、ほぼほぼ妥協と相手を思いやる心で成り立っていると思ってる。それは良くも悪くも。だからといって、相手に対して嫌だと思ったことを自分がグッと我慢するだけの関係も、なんだか嫌だ。それはもう妥協ではないから。我慢ばかりしてると、いつかは限界が来る。人間だから当たり前のことだ。むしろ妥協という言葉を使った時点で、もう、その対人関係には亀裂が入り始めているのかもしれない。 人は一人では生きていけないし、一人で生きていてもつまらないと思う。対人関係への特効薬はあっても、万能薬

          モヤを拭える人

          幸せの基準

          以前、アフリカで数学を教えていた先生の話を聞く機会があった。 その話が妙に心に残っているのでここに書きたい . アフリカの子供たちを思い浮かべた時 真っ先に思いつくのは、貧しい というイメージだ。どうしてもネガティブなイメージが浮かぶのだが、 その先生は言っていた 「その子たちもみんなと同じように冗談言って笑いあうし、授業中居眠りもするよ」 ハッとした。 そういう子達のことを勝手に、可哀想だとかいう目で見ている自分がいたことに気づいた。同時にそんな自分に物凄く嫌気がさ

          幸せの基準