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自覚できた恥

私がnoteを書き始めたのは、2年前 17の頃だった。

その頃 自分自身が綴った言葉を見返して、なんだか恥ずかしくなった。
なにが恥ずかしいかって 私はきっと かっこつけて言葉を使っていた。

あのころの私はアイデンティティを探していた。
人より少し文章を書くのに長けていたから 当時の私はそれをアイデンティティとしようとしたのだと思う。

でも あの頃の私は言葉を絞り出していたような気がする。
何もない日々のなかで言葉を綴れば それが何かがあった日になると思っていた。

絞り出した言葉は たしかに自分が感じて綴った言葉で嘘ではないけど 無性に飾りっけが強くて、それが多分今見たときの恥ずかしさの原因。


難しいよ、空っぽは怖いし嘘でも何かで埋めたくなる。悪いわけじゃない。
2年前の自分は そんな自分に気づきながらも
それでも自分はこういう人間なんだ と確立させて、安心したかった。


でも、数年noteを書いていたら
絞り出さなくても 急に感情が整理出来て ことばが湧き出てきて、それを残しておきたいと思う日があることに気づいた。

できないことをできないと認めたら、
空っぽな部分を無理に埋めようとすることを辞めたら、
楽になった。
やっと意地を張らずにことばを残せるようになった。


あと、昔書いたことばも恥ずかしいものばかりじゃなかった。
等身大のままで書いた苦言とか後ろ向きなことばとか、当時恥ずかしいと思っていたそんなのは 今読めば逆に恥ずかしくなかった。

忘れかけていた生々しい苦しさとか、残しておいてよかった。
思い出は美化されるから、今が辛いと昔に戻りたいとか思っちゃうんだよ。
間違いなく過去は過去で苦しかったのに。


だから、意地を張って着飾って綴った言葉はここから消した。
本音を書けた記事だけは、残した。


前みたいに定期的に書こうって思ってるわけじゃないけど、結果的に書き続けてはいる。
本音を残すツール、ここしかないし。
今本音だとして書いたことばが虚構だとしても あとからそうだと気づければ、きっと意味があるから。

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