話し言葉 vs 書き言葉

私は昔から言葉にうるさくて、その拘りは最近ますます悪化してる。

今のブームは「い」抜き言葉。

「ら」ではない。「い」が抜けてるのだ。


皆さん、お気づきでしょうか。

冒頭二行の文中、「い」は二回も抜けている。

一つ目はこちら。

× ますます悪化してる。

○ ますます悪化している。

二つ目はこちら。

× 抜けてるのだ。

○ 抜けているのだ。

この違和感、誰かが研究して論文でも執筆していないかしら、と思い、調べてみたけれど「い」抜き言葉ではヒットせず。

どうやら、この「い」が抜ける現象は「縮約形」というらしい。

例えば、「やらなくてはいけない」が「やらなきゃいけない」。

「今日は何曜日ですか」が「今日って何曜日ですか」。

「あなたの本ですか」が「あなたのですか」。

日本語はよく省略(縮約)してしまう言語らしい。

普段から何の苦労もなく日本語を話している母語話者にとっては何てことないことであるが、日本語学習者にとってはかなり難しい現象らしい。

確かに、「今日のっていつまでだっけ」が「今日の課題はいつまでに提出しなくてはいけないのか」だったりするのだから、そりゃ(それは)難しい。

「い」抜き言葉に話を戻すと、これはどうやら「縮約形」というグループに所属しているもので、「書き言葉」と「話し言葉」の違いとしてよく比較されている。

所謂「ら」抜き言葉の「ら」は、可能の意味を付け加えるために使われるものだが、最近は「ら」が抜けていても可能の意味を含むとされ、これはもう市民権を得ている(らしい)。

一方で「い」が抜ける現象は、単に動詞を活用する段階で「い」が抜けるということで、「話し言葉」≒「縮約形」の一部として取り扱われている、と私は理解した。

最近の日本人(人間?)が文章を書く場といえば、LINEやInstagram、TwitterなどのSNSに限られるようになり、それらの媒体の目的は「会話すること」なので、自ずと短い文章しか書かないことになる。自分のコミュニティー内で会話することを目的としているのだから、仰々しい書き言葉で何かを発信することはないのだろう。

「書き言葉」と「話し言葉」の境界線が霞む日本人にとって、「い」が抜けているかどうかなんて、大した問題ではないし、生まれた時からスマホがある世代はもはや「書き言葉」を意識したことすらないのかもしれない。

最近は映画評論アプリだとか、企業が運営するECサイトでも「話し言葉」を見かけるようになった。誰でも気軽に発信できるようになった一方で、いつか「書き言葉」と「話し言葉」の境界線がなくなるのではないかと危惧している。本がある限り、きっとそんなことはないのだろうけれど。

…あれ、もしかして、若い世代で話題になっている本や漫画では、もう「い」抜き言葉が主流になっているのかな。調べてみようかな。ワクワク。

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