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スペインへの謎の憧れ

⚠️若干下品かもしれない⚠️

太陽の国!地中海世界!イスラーム世界!レコン・キスタ!大航海時代!金銀財宝!奢侈!宗教的熱狂!魔女狩り!野蛮!熱病!迷信!闘牛!奇祭!

──そんな感じ。

私はブラスフェマスの世界観のモデルがスペインだと聞いてどきどきしています。

まあ、クッソ序盤のアルベロのティルソの時限イベントでミスって萎えて放置しているんですけど……
ノリと勢いで「慈悲を施す者(ボス)」を先に倒しちゃったから……

読まなくていいよ

兎にも角にも、エスポシトとかメルキアデスのビジュがいい。おぞましいのに、一抹の切なさとか、目も眩むような奢侈とメメント・モリとの融合とかを感じさせてくれていい。
それも、ただ忌避すべきおぞましさだけでなく、なにか人を惹きつける半狂乱の祝祭のようなところもあって、ダンス・マカブルみを感じるね。

2だったら、ベネディクタと信仰の化身のビジュが好き。ベネディクタいいんだよなぁ、露骨に穢らわしい遺骸を清らかなヴェールで包んでいる感じが。
信仰の化身は言わずもがな、おぞましさと神聖さとかっこよさが融合していていい。あれが嫌いな中二病患者は多分いないね!
あとオドンもいい。ボス戦時の背景とかにインスマス的な陰鬱さがあるし、倒したときに無数の手に掴まれて沈んでいくのがいいよね。破滅と寂寞って感じで。諸行無常というか何というか、「虛」の余韻があって抽象的なエロスを感じる。

あと、私の中でスペインというと、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』のイメージも強い。あの太陽と熱気の緻密な描写。痺れちゃうね。

とはいえ、私には眼球とか球体への執着がないから、あの物語全体を貫くモチーフにピンときていないところもあるんだけどね。

読まなくていいよ

とにかくだ、闘牛には「強烈な日差しの中での観戦」「野蛮なまでの熱狂」「生死をかけた戦い」「敗者に待ち受ける無残な死」といった赤く熱い印象がある。
そこに、いかれたヒロイン・シモーヌの性的興奮によって「殺された牡牛から切り取られた睾丸」という性と死のモチーフがつけ加えられる。
そうすると「闘牛」のシーンは、燃える太陽に炙られて熱に浮かされた絶頂の様相を呈するようになるわけだ。これがいいんだよね。

眩暈がするような白昼特有のすけべさってあるじゃないですか。
こう、不純で不埒な感じの──一見何でも暴き立てるかのように見えた白日の下に、陽炎とか日陰とか、なにか昏いところのある些細な秘密を見出したときの、あの胸にじくっ……とくるすけべさ。伝わってる?

一方で、美しいしなびた聖者の色褪せた眼の持つ、陰気で無気力なエロティシズム……もあるんだよな。先の闘牛が、いわば熱狂的なエロティシズムだとすればね。
天井が高く荘厳で、それでいて薄暗く、バロック風の不快感すら与えうる過剰装飾に覆われて、神聖さの表現がともすれば頽廃へと移ろう一歩手前のような雰囲気を醸し出す教会。
また、教会同様に薄暗く、その上少し黴臭くて熱のこもったような告解所。
狭くて薄暗い告解所から出てくる、幽霊のように生命力を感じさせない、神々しい幻を帯びた法悦境の聖職者と信徒。

彼らは神がかりになって、肉体や生から逃れて解脱でもしたかのように恍惚としているが、それでも肉の重みから逃れることはできない。
それは受した神とても、生ける肉体の持つ不浄さ(小便、精液…)から逃れられなかったのと同様である、ということだろうか。

結局のところ、彼らの飛翔──生の重みから逃れた死への飛翔というのは、スペインの明るくも色彩に欠けた炎天が見せる、白んだ仮象にすぎないのだろう。
哀れな美男の聖職者ドン・アミナドの無抵抗、たぎる生命の悪徳に蹂躙されざるを得ない、無力な、死を志向する真善美は、最期には彼自身の肉体の「下等な反射」とでも呼ぶべきものによって裏切られる。
語り手一行という不条理に呑まれたアミナドは、「殉教」という奇妙な救済を見出しながら、無様に射精して死んでゆく──彼は縊り殺しにされるのだ。

さて、ここに見られる、語り手一行の倒錯した、圧倒的な理不尽と暴力。
肉体の牢獄に囚われたこの世を厭うことを説き、死後にしか望むべくもない神の至福直観を予感させる、めくるめく教会のバロック様式。皆が死を装って眠るシエスタを必要とするようなスペインの灼熱の空模様、ものの輪郭が炙り溶かされるようなくすんだ白昼の静寂。その中で、誰にも気づかれずに無残に殺され死んでゆくという無常さ。
排泄し、生殖し、最後は死んで腐敗してゆくという特性を持った肉体の、宿命づけられた裏切り。どれだけ禁欲に励んでも、ついには不連続な肉体の死の不浄に裏切られることを織り込んでいたであろう、聖者の法悦。

Fooooo!! スキャンダラスだなァ〜〜!?!?

このどうしようもない、穢らわしくも神聖で、善良なのに軽侮を喚起し、野蛮なのに生が溢れ出して美しいこの一連の殺害シーン。
何だこれ、よく分かんないけどえっちだね。

余談だけど、似たようなエロスは『城の崎にて』からも摂取できると思います。
あれも久々に読んだとき、あまりのすけべさに震えたね。

読まなくていいよ

クソ脱線したけど、そろそろ『眼球譚』の話をまとめにかかろう。
とかくスペインには、「闘牛」と「聖者」とに典型的に見られた二重のすけべさがあるのである。しらんけど。

一方には、果実が熟していく、若く熱いみずみずしさがある。他方には、爛熟した果実が腐り落ちる少し手前の、いや、まさに腐り落ちる瞬間の、結局のところあまりに無駄だった生命の充溢がある。しかし、腐り落ちた果実は地面に落ちて、やがて新しい若い果実の糧となるのだ。だから、未だ生まれない果実は、古い果実の死をいっぱいに待ち望んでいる。
世界は太陽という外燃機関を戴いて、次の生命のために死ぬという永遠の循環を繰り返している。だが実際のところ、真の永遠などというものはない。地上における生命の循環は、あくまでも太陽──それ自体もいつかは死ぬもの──によって生かされている「永遠」にすぎないのだから。そして、スペインの空には太陽が輝いているのである。他のどの国よりも強烈に。
生があり、死がある。肉体が肉体であることに歓呼する祝祭があり、熱狂がある一方で、これを呪う信仰がある。活力みなぎる肉体は炎天下で汗をかいて躍動する一方、信仰は白昼の微睡みの中にあって、色褪せた神々しい幻を見せてくれる。

スペインのすけべさってね、そういうすけべさだと思うんですよ。

あとはまあ、キリスト教世界とイスラーム世界の出会いとか、グラナダ王国がまだあった頃の両者の共生と文化の混淆とか、アルハンブラ宮殿とかさ、なんともいえず魅惑的な感じがするよね。
それでいて、イベリア半島っていうのは戦争遂行型社会でもあった。結局最後には膠着状態が破られ、聖戦思想の名の下で、ターイファ社会の脆弱性を突いたのもあってレコン・キスタは完遂された。
それから、大航海時代と、新大陸からの略奪や搾取がもたらした大量の銀、宮廷における奢侈に、やがてやって来る衰退。宗教的権威が失墜していく時代の徒花としての魔女狩り。
現代にまで残ってきた、しかしそれもいつまで保つか分からない、「奇祭」の数々。闘牛があり、牛追い祭りがあり、サン・フェルミン祭があり、こうした熱狂を受け継ぐものとしてのフーリガンがある、のかな。

早くから大洋に乗り出した国家として一時は覇権を握りながらも、やがてオランダやらイギリスやらのプロテスタント的新興国家の側から「野蛮、迷信、奢侈」的なイメージを付与されるようになったスペイン。
古き普遍権威の牙城にして、新たなる主権国家の黎明をももたらしたスペイン。
「スペイン風邪」のような、疫病の名でも知られるスペイン。
今もなお「欧州経済のお荷物」のような扱いを受け、動物愛護団体辺りから苦情が殺到しそうな謎の祭りを数多く残しているスペイン。
独立を目指すカタルーニャなんかに典型的な、地方と民族のモザイク的様相を呈するスペイン。

燃える斜陽の帝国、スペイン。
いや〜、やっぱ魅力的だなぁ〜〜ッ……謎の憧れがあるね。

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