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『宝石の国』感想

今日読んで今日書いてる。にわかどころの騒ぎじゃない


最近完結したとのことで、『宝石の国』を一気読みした。
こういっていいのか分からないが、なんか『最終兵器彼女』を思い出した。

人類の想像力を超えた時空間のスケールで、とてつもない苦悩と孤独を味わいながらのたうち回った末、ようやく「諦め」の境地に至って救われる。
たとえその「救済」が、俗物の目で見れば一抹の虚しさを含んでいたとしても。

『宝石の国』にも『最終兵器彼女』にもそんな趣があったような気がする。

結局のところ、救いは救われることを諦めた先にしかないということなのだろうか。
こういうのって、やっぱ「仏教」なんですかねぇ……2500年も前に生の絶望に解決をもたらそうとした教えは伊達じゃないなぁ。

しかしフォスフォフィライトが「救世主」に仕立て上げられていたり、救われるために「祈り」を必要としたりするあたり、完全な仏教ベースでもなさそう……なのか?
だって「生者の祈りによって無(≒天国)に行ける」って、完全にキリスト教の煉獄思想じゃない?
こじつけかもしれないけど「魂・骨・肉のいずれも人間に由来するものとして金剛の祈りで消滅する(=いずれも「人間」の違った側面である)」っていうのも、三位一体感あるしね。

あと、この作品における人間の立ち位置は面白い。
「度重なる隕石の衝突によってなすすべもなく滅びた、矮小で脆弱な定命の者」であり「月人・宝石・アドミラビリスという三種族の祖にして、『金剛の祈り』という救済の手段を地上に残した存在(≒神)」でもある。
結局のところ、人間のこの二重性を受け継いでしまったからこそ、作中の彼らはあんなにも苦しむ羽目になったのかもしれない。

きっと、この二重性を駆動させていたものは「欲」なのだ。人間は欲望で動く。それが「良いことをしたい」という欲であれ、「悪いことをしたい」という欲であれ。
フォスが救世主に仕立て上げられたのも、元はといえば「自分の能力を示してみんなに認められたい」という欲望が原因だ。
それに月人の「祈りによって無に還りたい」も、金剛の「愛しい宝石とともに過ごしたい」も、すべて欲望である。

各々が各々の欲に沿って動き、ままならない物語は駆動し、やがて救済が訪れた。
では、残ったフォスはどうやって救われる? それは、これまで物語を駆動させていた欲を放棄することによってしか叶わない。
みんなのように「欲望を叶えて救われる」のではなく「欲望そのものを放棄することで結果的に救われる」のである。
(人の混じっていない小さな欠片は兄機たちに託したにせよ)穏やかに人類救済の永い後日談を過ごし、やがて訪れた地球の終わりと運命をともにする。そこでようやくフォスも終わることができる。解脱ってヤツですかね。

まあそれはそれとしてだ、個人的に「でかくて、強くて、どこか愁いを帯びていて、割としょーもないところのある男」が性癖なので、金剛先生と神になったフォスは刺さった。へへっ。以上です。

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