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【短編小説】ムーサは自分を去勢することにした・A面

「ある女性アーティスト」をテーマに書きました
「他人から見たある人の姿を描き出す」ってなかなか難しいな〜〜


【美術大学の同級生曰く】

 あの人はいかにも芸術家らしい芸術家だった。
 寝食を忘れ、見た目にも気を遣わず、ときに風呂に入ることすら忘れて夢中で作品を制作し続ける。
 その様は半ば狂気的ですらあり、彼女、いつかぶっ倒れて死ぬんじゃないかと、僕は密かに心配していたよ。

 いや──これはふとした思いつきだけど──ひょっとすると、彼女は死にたがっていたのかもしれないね。今にして思えばだが。
 彼女が作品制作に見せる執念は、誤解を恐れずに言えばどこか自傷的でもあったんだ。「土星の元に生まれついたメランコリックな芸術家」という典型的なイメージをなぞりながら、作家としての彼女の暮らしは続いていく。
 キャンバスに向き合うとき、彼女はラファエロというよりはフィオレンティーノであり、ブルネレスキというよりはボッロミーニだった。悶え苦しみ高みを目指し、自然の中よりも人間の知性の彼方に、様式と手法の爛熟の果てに究極の美を見出そうとしたのだと、僕は彼女の作風から解釈している。
 まあ、こうした想像が当たっているのかなど、僕には知る由もないのだけどね。

 とにかく──仮に想像が当たっていたとしてもだ、彼女がなぜああも破滅的な美学を持つに至ったのかは、これからも謎のままだろうな。
 生まれついてそういう難儀な性質だったのかもしれないし、案外、彼女が生命の維持に頓着しないことと、その作風とは無関係なのかもしれない。彼女の破綻した生活と、バロックじみた作風とを、僕が勝手に結びつけて考えているだけで。
 まあ、ここではどんな人であれ、歪で技巧的で目の眩むような美に魅せられることが少なくないからね。そういう美に魅せられた彼女が、たまたま異常なまでの生活力の低さをも併せ持っていたというだけなのかも。
 真相は藪の中だ。そしてこれから先も、きっと彼女が自分の美学の起源を明かすことはないのだろうと思うよ。

 それにしても、彼女は今やアーティストとして成功しつつあるみたいだね。「新進気鋭の女性アーティスト!」ってさ。
 君は彼女が「報われてよかった」と思う? …さあ、僕には分からないな。
 彼女は、あの人は、ああやって「新進気鋭」だの「女性アーティスト」だのと俗っぽく評価されることを望んでいたのだろうか?
 ──彼女を見ているとむしろ、無理解をこそ示されたかったんじゃないか、って思うこともあるよ。正直。まあ、実際のところは分からないけどね。


【高校の同級生曰く】

 クラス替えの後、初めて教室で出会ったとき「美人だな」と思った。
 それと同時に「多分、高校を卒業したらこの町を出ていくんだろうな」とも。

 あの子にはそういう……何だろうな、いうなれば気迫があったの。「こんな、どこもかしこも灰色で息の詰まるような町に収まる器じゃないぞ」っていう気迫が。
 おしゃれで都会的で、あか抜けた雰囲気があって……まあ、一言でいえば高嶺の花っていえば伝わるかな?

 そういうわけで、私はずっと「あの子は都会のいい大学を出て──お金持ちと結婚するか、モデルにでもなるんだろう」なんて思っていたんだ。
 だから、この前久々に会って、シンプルな黒い服にノーメイクで現れた彼女を見たときにはちょっと驚いたの。うん、「人に見られる」ということを、そこまで意識していないような出で立ちだったから。
「高校のときの友達と会うのは久しぶりだから、なんだか不思議な気分だよ。雰囲気変わったでしょう?」なんて言っていて、目の下には隠しきれない隈もあってさ。
 まあ、立ち居振る舞いがどこかシャープに洗練されているのは、相変わらずだったけれど。

 けれど今更ながら、私はあの子の「洗練」の正体を勘違いしていたのかもしれないと気づいたんだ。あの子の洗練は、誰かに見られたり愛されたりするためのものじゃなくって、彼女自身のためにあったのかもしれないって。
 ううん、実際にそうなんだろうね。綺麗な見た目も、力強い目も、語る言葉の断固とした感じも、ふいにこぼれた微笑みですら、誰かに寄せたものじゃなくて、あの子が「身勝手に」やっていたことだったのかも。

 …そうだ、聞けば今、あの子は美大に通いながらアーティストとしての活動にも取り組んでいるんだってね。あの子の近寄りがたい洗練は、今では自分を磨くことじゃなくて、作品たちに注ぎ込まれているのかもしれないね。まるで、我が子に自分の全てを注ぐみたいに。
 まあ、ああいう芸術なんて、きっと私みたいな人間には縁遠い世界の話なんだろうけど……貴方にも何となく伝わるかな、この印象。あの子の作品って何というか、ほら、浮世離れした神聖さ?があるの。あの子自身と同じように、綺麗だけどどこか恐ろしくて近寄りがたくて……見ているとまるで、立っていた足場が突然消えてしまったかのような浮遊感を覚えるっていえばいいのかな。

 …私ね、彼女が次に開く個展を見に行くと約束したんだけど、多分それがあの子と会う最後の機会になる気がするな。もう、何もかもが高校の頃と違ってしまっていることに、気づいちゃったから。この前久しぶりに会ったときにね。
 だって、あの子みたいに自由で激しい生き方は、そうできるものじゃないもの。私にもできない。子どもも生まれちゃったしね──うん、高校を卒業してすぐに、前から付き合っていた人と結婚して出産したから。もうすぐ2歳になるんだよ。

 …あーあ、あの子は、こういうところが嫌で都会に出ていったんだろうな。
 今ならちょっと分かる気がするよ。それでも、私は絶対にあの子の理解者にはなりえないんだろうね。けど、それでいいんだと思うよ。


【家族曰く】

 いつからだったか、物心ついたときから負けず嫌いな娘だったよ。なんでかは分からないけど、きっと、生来そういう気質だったんだろうね。
 いつも何か真剣な顔をして、机に向かって一心不乱にガリガリやっているような子だったわ。友達はいたみたいだけど、あまりベタベタとつるむタイプでもなかったみたい。

 とにかくあの子はそういう子だから、物心ついたときから、何が好きとか嫌いとか、誰にも深くは教えたがらないの。
 うーん、昔はもう少しおしゃべりだったような気がするんだけども。まあ、あれもあの子の個性ということでいいのかしら。人様に迷惑はかけていないみたいだし。
 でも私としては、もうちょっとおしゃべりな方が可愛げがあると思うんだけどね。女の子なんだから。

 それにしても、最初「美大に行く」と言い出したときはどうしたものかと思ったわ──あの子、今は東京で上手くやっているのかね?
 え? 新進気鋭のアーティストとして評価されている? ああそうなの、それは良かった。

 けど、大学を卒業したら、きっとこちらに戻ってくるだろうさ。だって、ネットで見たんだけど、美大なんか出たってまともな就職先はないらしいじゃない。
 新進気鋭のアーティスト?といったって、もらえるお金はたかが知れてるでしょ。何はともあれまずは食っていかなきゃいけないんだから、物価の高い東京よりも、こっちに帰ってきたほうが、ねぇ?
 それに、地元の方がなにかと便利でしょう? 就職にしても、結婚や子育てにしても、こっちにいた方が安心できるわよ。

 私たちはね、あの子には自由に生きてほしいけれど、まあ……人並みに幸せになってほしいとも思っているの。今は色々な生き方があるというけどさ、いつかは結婚して、子どもを産んで──そういう普通の、地に足ついた生き方だって幸せなもんだよ。
 美術なんて不安定なもので食っていこうとしなくたって、何者かになろうとしなくたってさ、愛する家族がいて、毎日それなりに暮らしていける。それでいいじゃない。

 だからこっちに帰ってきて、さっさと彼氏でも作ってほしいんだけど……そう言うとあの子、いつも「まあ、いい人がいればね」って適当な返事するのよ。
 「いい人がいれば」って! そんな人が現れるのを待っていたら、一生が終わっちゃうでしょ! 恋愛にしろ何にしろ、人っていつしか自分の限界を悟って、身の丈にあった暮らしを送るようになるものじゃない?

 あの子、そういう「お金を稼いで家事をして、生活していかなきゃいけない」っていう意識が希薄なのよね。親としては、もっとしっかりしてほしいんだけど……高校のときのお友達みたいに。


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