見出し画像

【短編小説?】ラブレター

「上位存在の書くラブレター」という性癖!! ワーッ!!!


 今この瞬間まで、貴方が生きてきたことを絶対的に肯定したいのです。
 貴方が生まれて、どういう境涯にせよ今日という日まで死なずに生きてきて、何かを思って私の前にいる。息をしている。ものを食べたり、眠ったりする。ただ、存在している──喜ばしいことではありませんか。
 貴方がこの世に生を享けてから、きっと、辛いことも楽しいこともあったのだろうと思います。ひょっとすると、死にたくなるようなことすらあったかもしれません。
 私には、それが分からない。私は貴方という人間の、ほんの一部分しか知りませんから。過去から地続きの今を、不完全に共有することしかできません。

 そういうとき、貴方を称賛するのは容易いことです。
「こういうところが好き」「これができるところが好き」──そんな風に言うことは簡単だ。だって、称賛に足る根拠があるのだから。
 根拠なき「愛している」は人を不安にさせます。しかし、根拠があれば人は簡単に納得できる。「これができるから」自分は愛されているのだと、理由つきで安心することができるのです。だから、根拠あっての称賛はある意味で楽なのですよ。する方も、される方もね。

 けれど、それは条件つきの「好き」にすぎないじゃありませんか。そういう愛しか向けられないのは、あまりにも寂しいでしょう。
「理由がなければ愛されない」と知りながら、称賛を受けようともがくのは苦しい。どれだけの称賛を受けたとしても、それだけでは根本的な虚しさはなくなりません。

 だから、たとえ誰もそうしないのだとしても、せめて私くらいは、貴方という人を無条件に肯定したいのですよ。お分かりですか。
 生まれや能力、経歴にかかわらず、貴方という存在が今ここで生きている。それに、これからも生きていく。これから先、死ぬことを選びたいと思う日も来るかもしれませんが、それですら貴方の生の一部だ。
 私はその様を愛しているのです。貴方が生きてきたこと、生きていること、生きていくこと、そして死ぬこと。貴方を育んだ揺籃を、貴方がこれまで囚われてきたしがらみを、貴方自身の思考や価値観や意志の尊さを──あるいは愚劣さを、これから貴方が行っていく選択を、私は愛している。それがどういうものであれね。
 美しくても醜くてもいい。賢くても愚かでもいい。自由でも不自由でもいいのです。いかなるものであれ、存在は麗しく喜ばしい。

 だから教えてください。貴方をもっと知りたい。
 貴方というかたちが好きだ。泥に絡め取られて、摩擦をかけられて、なお世界の片隅で燦然と輝く──いいえ、埋もれてしまう貴方ですら愛おしいのです。
 貴方のあり方を決して否定しないと、ここで約束しましょう。貴方が落ちぶれても離れていきませんよ。死んだら、骨は拾ってあげます。そして忘れません。

 それだけなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?