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「〇〇の主役は我々だ!」という組織の考察

これは国民(チャンネル会員)ですらないニワカが、「〇〇の主役は我々だ!」というゲーム実況者集団に関して独断と偏見に基づいて書いた考察……ってか妄言です。全ての文末に「しらんけど」がつきます。
個々の動画・企画やメンバーの解説については、他の人がクッソ気合いの入った紹介文を書いているので、そちらを見てください。
あと、本文中のメンバーなどの名前は全て敬称略です。
最後に、「ちゃうな」と思ったら適当にブラウザバックしてくれよな。よろしく。

じゃ、前置きもしたことだし早速始めていこうか。

さて、「我々だ」の面白さとは、一言でいえば「エコーチェンバーの面白さ」なのではないかと思う。
というのも、「我々だ」を構成しているメンバーは、その属性に大きな偏りがあるからだ。

まず、彼らはその全員が男性であり、かつ大半が関西人である。それも「面白さこそ正義」という、めちゃくちゃステレオタイプな関西人だ。
年齢については分からないが、『NARUTO』みたいな特定の作品のネタをそこそこ共有している辺り、驚くほど離れているわけではないんじゃないか。多分。
それと興味深いのは、現在表舞台に立って活動しているメンバーの半数以上が喫煙者である点だ。2019年時点での男性の喫煙率は27.1%らしいので、ここにも何らかの価値観の偏りがあると考えられる。

これらの情報からざっくり推測する限り、彼らは「ホモソーシャル的で」「ガツガツしていて周囲に媚びず」「何よりも面白さを重視する」ような集団なのではないかと思う。
そして、全員がこういったノリを共有していることが、彼らの面白さの秘訣なのである。しらんけど。

一人でも「面白さ」以外を最優先事項に据える人間がいたら、場は一気に白けてしまう。「下品で不謹慎なゲスいネタ」「愉快な内ゲバ」「リスクを冒した新しいムーブの開拓」などが、面白さ以外への配慮によって封じられてしまうからだ。
一人でも勝利に貪欲でない人間がいたら、熱いPvP展開はできない。「勝利を目指し、讃えられない人間」「負けても本気で悔しがれない人間」が対人ゲームをしていたって、何も面白くないからな。

それと──これは憶測だが──一人でも「男らしくない人間」がいたら、彼らの面白さは成り立たなくなる。
「我々だ」の面白さとは、「酒!金!女ァ!」的な面白さであり、「身内ノリ」の面白さだからだ。まあ、グループの出自からして「戦争」「対人ゲーム」「悪ノリ」「内ゲバ」って感じだしね。

しかし、事実はどうあれ、「童貞であること」をそこまで本気でバカにしていないっぽいのが興味深い。イジりはするけど、童貞に対する目線が割と肯定的で優しいというか。「童貞を卒業したいなら応援するけど、別にそのままでもいいと思うぜ」みたいなさ。

この点で、「酒!金!女ァ!」的で身内ノリが強いとはいっても、ゴリゴリの体育会系の陽キャとは少し違うようにも思われる。いや、ホモソーシャルな集団は陰陽関係なく全般的に童貞に優しい気もするな……みんな最初は童貞だもんな……じゃあもうよく分からん。

だがとにかく、「我々だ」の気風は陽キャ集団の気風とはちょっと違う気がするんですよ。評価基準がややゲーマーの陰キャ寄りというか。しらんけど。

余談

つまるところ、「酒、金、女」辺りにガツガツできない人間も、「身内」になれない人間も、真の意味で彼らの「仲間」になることはできないわけだ。
彼らの十八番「内ゲバ」は「内部ゲバルト」の略称なわけだが、そもそも「内部」に食い込めない人間は、内ゲバに参加できないのである。

だから、「我々だ」のメンバーになるような人間は、互いに上を目指して競い合う一方で、一緒に飲みにも行けるような「同じ部活の仲間」的人物でなければならない。
それはホモソーシャルや冗談関係のコードが通じる人物であるからして、おそらく「女性」や「男らしくない男性」ではあり得ないのだ。

そして、上記のような「ノリが違う(可能性が高い)」人々を排除した結果として生まれる悪ノリの「エコーチェンバー」こそが、彼らの面白さの源泉なのである。
そこには「競い合い」「蹴落とし合い」「罵倒し合い」と、これらをあくまでも一過性の「冗談」として片づけて、根本的には協力し合うことを可能にするような、独特の「男同士の絆」がある。

結果として、争いが基底にある中での同盟的なあり方、ゲームの展開如何によっては裏切り合いになることを織り込んでいて、かつ、それをも楽しむような魅せ方が、彼らの醍醐味となっているわけだ。
HoIからマイクラに至るまで、PvP系の企画は大体そうじゃないかな。

バラエティ系の企画についても、冗談関係という言葉である程度は説明がつく。
身内ネタが多い理由の一つは「互いにいくらイジっても冗談で済ませることができるという信頼」がメンバー間にあるためではないか、と個人的に推測している。こういう信頼が確立されている場では、過激にイジったり罵倒したりすることがむしろ「俺たちってこういうことも遠慮せずに言い合えるよな」という絆の確認になるのだ。
あとは「身内以外をイジることによる炎上リスクの回避」とか「身内ネタを擦り倒すことによるキャラクターの固定化(後述)」辺りが目的だろうか。

とはいえ「鬱先生の女ネタ」や「エーミールへの童貞イジり」なんかは、どうしても「相手の女性」という外部の人間(≒イジってはいけない人間)の存在が暗示されてしまう以上、かなり上手く取り扱わないと燃える気がする。
というか、最近「鬱先生の女ネタ」の生々しさ?が減っているような気がするのは、炎上リスクの回避という側面が大きいのではないかと思っている。マジで勝手な憶測だが。
「具体的にどれだけ女関係がだらしないのか」みたいな部分が捨象されて「女にだらしない」という記号的なキャラづけだけが残っている感じがあるよね。

この辺りに関して個人的に印象に残っているのは、「個性豊かなクトゥルフ神話TRPG」第17話にて、シャオロンの「その女ももう36とかなってんで」に対して鬱先生が「え? 中古やん」と返したシーンである。
これも、現在の規模まで拡大した「我々だ」がやったら生々しすぎて流石に炎上するヤツだよな〜〜良くも悪くもかつてのネタだなぁ〜〜と思いつつ、当時の彼らの「尖り」を懐かしく思ったときに見返したりしている。

だから「かまってちゃん人狼」とか「お嬢様上等」とかが出てきたときには「お、その手があったか」と思った。
外部の女性をネタにするから燃えるのであれば、内部のメンバーに女性RPをさせて、それをネタにすればいい。これなら笑えるし、生々しさもない。
まあ、彼らが実際にこんな意味のわからんことを考えながら「かまってちゃん人狼」や「お嬢様上等」を企画したのかは知らないが……

その点、童貞ネタは全てを「地雷だのなんだの偉そうに言っているが、結局はその理想の高さゆえに童貞を卒業できない自分」みたいな自虐として回収できるから万能だと思う。
昔の「鬱先生の女ネタ」と違い、「相手の女性」を「決して得られないもの」という意味を持つだけの単なる記号や舞台装置にできるというかさ。

余談

というか別に女性RPに限った話ではなくて、彼らのRPは全般的に「ほどほどに素人感があって、ガチすぎず、カラッとしていて笑える」ことを意識している気がする。
例外は外部の方々とコラボして行うクトゥルフ神話TRPGだろうか。あれは身内だけのときよりもRPが若干「ドラマ」に寄っている気がする。鬱シャオの「狂気山脈」とかね。

とにかくだ、こんな風に書いていて思うのは、「我々だ」は炎上対策?的なところも面白いということである。
彼らの炎上対策は「鎮火できないほどの大炎上を防ぐために、管理できるくらいのキャンプファイアを予め燃やしておく」ことなのではないかと、個人的に思っている。
これはYouTuberのスタンスとしてはかなり独特なのではないか。筆者が他のYouTuberに詳しくないから、断言はしないが。

まず「〇〇の主役は我々だ!」というグループ名からして、「あくまでも動画内ではそういう役柄を演じているんですよ」というポーズを強く押し出しているように思われる。
なんといっても、彼らは自分たちについて喋ったことの「9割は嘘」と言っているのだ。動画投稿者である以上、多かれ少なかれプライベートについては秘匿するものだろうが、そうはいってもここまで「嘘」「コンテンツ」「演技」を明確に打ち出しているグループも稀なんじゃないか?

それに、意識して行われているであろう、メンバーのキャラクター化もそうだ。
(これはどのYouTuberもそうだが)架空のビジュアルを作り、各々の得意分野を明確に打ち出し、「コネシマの家族ネタ」など特定のキャラづけを擦り倒すことで、人物像をカリカチュアとして固定化させる。
ついでにいえば、ゲームや漫画などのメディア化もそうだ。「漫画のキャラクターになる」なんていうのは、キャラクター化の例としてすごく分かりやすいと思う。

そして、こうしたキャラクター化の推進によって、多少燃えそうな発言をしても「クズキャラの発言」として受け流してもらいやすくなるのだ。
炎上は「マジに受け取るヤツ」が出てきたときに起こるのである。逆に、「そういうキャラクターの発言」として誰もマジに受け取らなければ炎上はしない。

何ならその「クズさ」がブラックな面白さとして、「我々だ」独自のコンテンツに変わりさえするわけだ。一石二鳥だね。
まあ、それは彼らの「面白さ」が炎上と表裏一体ということでもあるのだろうが……彼らはリスクを負うことで独自の強みを得ているのだ。炎上上等の尖ったネタがない「我々だ」は、多分面白くなくなっちゃうしね。
「尖った面白さ」という武器を存分に振るうための「キャラクター化」の鎧ってわけよ。

ついでにいうと、キャラクター化には「視聴者がイジりやすくなる」というメリットがあるように思われる。
「動画投稿者」と「視聴者」はほぼ全くの無関係であるといえども、動画という「場」を盛り上げるためには「視聴者の側からも投稿者をイジりやすくなるようなフック」があるといい気がする。この点で、雑に擦れるキャラづけがあるのは都合が良い。

それに、無関係な上にユーモアのない人間に「生身の自分」をイジられたら困るし腹も立とうが、「キャラクターとしての自分」をイジられる分には、色々な意味でダメージが少ないのではないか。
「嘘」や「キャラクター化」によって、個人情報やプライバシーだけでなく、心理的安全性?も守れるというわけだな。しらんけど。

余談

「普段清廉潔白ぶっているから炎上するのであれば、最初からきったねぇスラムとして燃やしておけばいいじゃないか。すでに燃えているなら炎上はしまい」というコペルニクス的転回。
日頃火のないところに火が立っていたら目立つことこの上ないが、元から焚き火の爆ぜるクズキャラキャンプ場であれば話は別だ。多少燃えた程度では「なんか今日、火の勢い強くない?」くらいのことであろう。多分。

でもって、仮にこれから先「我々だ」が炎上するとすれば、それは「そういうキャラづけ」「そういう演技」という建前が通用しないレベルの大失態をやらかしたときか、この建前を解さない人間に見つかってしまったときだろう。
個人的には後者の可能性の方が高いと思う。なぜなら「我々だ」という組織はあまりにも大きくなってしまったからだ。それこそ、本来交わるはずのなかった人たちともうっかり衝突しかねないくらいに。

まあ「我々だ」が燃えていたら、それはそれで面白い気もするな……「おっ、とうとう来たかw」って感じだよね。ニラヲチしちゃうな。
ともあれ、彼らにはこれからも「独自の尖った面白さ」と「炎上のリスク」の間スレスレを華麗に渡っていってほしい。一視聴者の勝手な願望である。

それと、多少話は変わるが、個々のメンバー間で明確に序列があるところも「我々だ」の面白い点だと思う。
序列っていうのは、「あいつはなんとなく格上/格下」みたいなヤツね。これに関しては、動画中にも度々登場する「格下のカス」という文言が象徴的だろう。

しかも総合的な序列だけでなく、分野ごとの序列もあるっぽいのが興味深い。
「戦略系だったらグルッペン、トントン」「アクション/FPS系だったらゾム、トントン」「バラエティ/恋愛系だったら鬱先生」辺りが一目置かれているように(他にも色んな分野と序列があると思うが、今回は割愛する)。
加えていえば、「先輩/後輩」といった要素もなんとなく意識されているような気がする。これは「我々だ」への加入時期に由来するのか、年齢に由来するのか、あるいはその両方を加味して決定されるのか、一視聴者からはよく分からないが……

とはいえ、現在動画に出演しているメンバー内での総合的な序列は、やはりトントン、ゾム辺りが頭ひとつ抜けて高いのではないかと思う。あとは地味にショッピとか。
それは総合的なスキルの高さであったり、企画・編集・裏方としての役割であったり、視聴者からの人気であったりのゆえだろうか。
序列を決定する要因について、ニワカ視聴者の目線からは何ともいえないが、おそらく「組織への貢献度」というのが一つの重要な指標になっているのではないかと思われる。
あとは純粋に「どれだけ尖っているか、面白いか」「(ゲーム、酒、恋愛、フィジカルなどあらゆる面で)どれだけ強いか」辺りだろうか……曖昧な憶測だが。

逆に、大変失礼ながら、序列が下に位置づけられがちなのはエーミール辺りか。それはPSやギャグセンスの低さ(本当に失礼なことは自覚している)ゆえであろう。しかし最近は、PSやギャグセンスが向上してきているようにも見える。とはいえ、エーミールの立ち位置は「イジられポジション」で固まってしまった気もするので、これから先組織内での彼のヒエラルキーが上がるかどうかは分からない。
あとはチーノも若干序列が低い気がする。ただ、チーノには持ち前の外向性やコミュニケーション能力の高さがあるから、組織の中で独自の立ち位置を確保しているようにも思われる。PSの成長が目覚ましいことも併せ、彼はいわゆる「頑張っていてかわいい後輩」的なポジションにいるのではないか。「後輩」ならば「先輩」よりヒエラルキーが低くなるのも頷ける。
あれ? でもそれだと、ショッピの序列が高い(憶測)理由が説明できないんじゃないか? いや、「有能な後輩」と「おバカでかわいい後輩」の差ということか? もう何もわからん。

なお、ここに挙げなかったメンバーに関しては、筆者がその序列を読み取れなかったものの、おそらく中位に位置しているのであろうと推察している。もちろん、間違っている可能性は大いにあるが。

とはいえ、彼らの序列はおそらく単一ではない。「こちらの序列では上位にいるが、あちらの序列では中位に落ちる」といったパターンがしばしば見受けられるように思う。
個人的に「総合的な序列」と「各々の得意分野における序列」、「年齢/加入時期に由来する序列?(存在すると断言はできない)」とが入り混じって、部分部分で逆転が起きていることが、「我々だ」内部の序列を読み取るのを難しくしているような気がする。

あと、現在表舞台に立っていないメンバーについては、正直何ともいえない。ニワカなんで。「我々だ」の領袖グルッペンは、やはり特別視されているような気がするが……

それと、今しがた挙げた序列の存在とも絡んでくると思うが、彼らは「個人というよりは組織としての勝ち」を狙っているっぽいのが面白い。まるで狼の群れみたいだ。

序列が上の者は、下の者を馬鹿にしたりいじめたりしてもいい
それでいて、上の者は下の者をしっかり褒めたりフォローしたりもする──というか、おそらくは「そうしなければならない」のである。

序列に基づいた人間関係は、対等な個人間の人間関係というリベラルな正義に馴染んだ者の目からは理解しがたい。
ゆえに、人はこうした関係について「序列が上の者は下の者をいじめてもいいなんて、そんなわけがないだろう!」という一面的な批判に終始してしまいがちだ。しらんけど。

だが、おそらく「下位の者をいじめていい」だけではないのである。それは、あのような関係性の一つの側面にすぎない。
序列に基づいた人間関係は他方で、序列が下の者に対する保護やフォローなど、何かしらの「下賜」とでも言うべきものを必要とする。上の者は下の者に「何か」を与えなければならない。それが何であるかは筆者には知りようがないし、そもそも時と場合によるのだろうが。

このような関係は、主としてエーミールに対する他メンバーの接し方を見ているとよく分かる気がする。
メンバー全体の空気感としては、エーミールに対する当たりは強いしイジりも多い。マイクラPvP系の企画なんかでも、エーミールは最初の方で雑に殺されがちである(というか彼らの序列は、そのメンバーのPvP系の企画における終盤生存率の高さである程度測れるような気もする)。

しかし他方で、メンバー個々人のエーミールへの接し方は、全員が揃っている場におけるそれよりも存外に優しかったりするわけだ。おそらく、最も分かりやすいのはゾムだろう。まあ、ゾムがエーミールに見せる優しさがヒエラルキーの高さに由来するのか、個人的な好意に由来するのか、両者の占める割合を含めてニワカ視聴者には知りようもないのだが。
それにイジりや強めの当たりだって、見方を変えれば「イジられるという見せ場を作ってやるための気遣い」と言えなくもない。こちらに関して分かりやすいのは、本人のエンタメ色も比較的強い鬱先生だろうか。

なお、ヒエラルキー回りの姿勢が比較的フラットなのは、ショッピ・チーノの新人組だと思う(あとはロボロなんかもそうだろうか)。
明確に「後輩」として意識されている点も含めて、彼らの立ち位置は少し独特であるように思われる。
なんというか、他のメンバーに比べて言動や価値観がやや「若い」ような気がするのだ。特に根拠はないが。

余談

大体、彼らは社会人と兼業して実況者をやっているのだから、「もうこの組織にいたくない」と思ったときにはいつでも「我々だ」を離れることができるのだ。
ヒエラルキーの下位にあって強めのイジりを受けながら、それでもエーミールが「我々だ」を離れないのは、彼がそこから何かしらのメリットを享受しているからだろう。
そこには知名度や金銭といったものだけでなく、おそらくは──純粋な楽しさも含まれているのだと思う。もちろん憶測にすぎないけどね。

加えていえば、構成人数が極めて多いのも「我々だ」の特徴といえる。
人数が多いから、社会人と実況活動(企画、収録、編集…)とを両立できる。
多少メンバーが減ったり表に出てこなくなったりしても動画が成り立つ。
裏方に回りたいと思ったり(グルッペン)、私生活の方が忙しくなったり(最近のコネシマ)しても、融通が利く。

これらも、彼らが個人実況者ではなくグループ実況者であり、かつ個々が己の能力に合わせた全体への貢献を行う「組織」だからこそ得られる強みだろう。
組織だから、それぞれの都合や得意分野に合わせて分業するのだ。「何でも屋」ばかりが複数人いるのは、「グループ」ではあっても「組織」ではない。

このように、「我々だ」にあるのは規模の大きさによる盤石なネットワークと、このネットワークに血を通わせるための序列に基づく互恵関係なのである。
序列があるからこそ、彼らのコミュニケーションには遠慮やよそよそしさがなくなり、イジり傷つけることをためらわない代わりに、支え助けることにもためらわなくなるのである。しらんけど。

彼らはそうやって「組織としての勝ち」を目指しているのではないか。
「全員にキャラづけを施し、見せ場を作る」「下の者が多少犠牲になることはあれど、全員がある程度楽しめるようにする」「人海戦術によって、全員が自分の望む形で参加できるようにする(あるいは参加しないこともできる)」といった特色が「我々だ」には強く表れている。
内ゲバをし、出し抜き合い、時にはまるで「一人勝ち」を目指しているかのような振る舞いをしつつも、彼らの本質とは「全員で勝つ」ことなのだろう。

しかし「全員で勝つ」とはいっても、それは「みんなで手をつないで、仲良しこよしでゴールテープを切ろう!」みたいな、嘘くさくて生っちょろいヤツじゃない。
そこには、能力なり貢献度なりに応じて決定された厳然たる序列がある。上の者は躊躇なくゴールテープをぶっちぎる。その上で、下の者を見捨てないのだ。振り返って転んでいたら、助け起こしに行ってやるくらいのことはする。少なくとも、下の者に「組織」への帰属意識と貢献意識がある限りは。

そういうところが、「我々だ」の組織としての特徴であり魅力なのだろう──

なお、以上の文章は全て適当である。ありがとうございました。

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