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思い通りにならない我が子に「一言」いいたくなったら?

不思議なものだ。
取材で大きな学びを得ると、そのあと「テスト」のような出来事に遭遇……なんてことが起きる。


わたし探求メディア「Molecule(マレキュール)」にて、取材記事を書かせていただいている。

働く子育て世代の生き方・働き方のヒントとなるような、「わたし」主語のワクワクを大切にした記事をお届けするのがコンセプトである。

今回は、ライフコーチである宮崎直子さん(以下、宮崎さん)にお話を伺った。


宮崎直子さんの著書『鋼の自己肯定感』を手にとったのは、フリーランスになって数ヶ月が経ったときだった。

それまでは、私は教員だった。
いちおう「ベテラン」と言われる年代に入り、大きく落ち込むようなことはなく安定して働いていたと思う。

自分でも

「私ってまあまあメンタル強い」
「こんな自分だけど、意外と自己肯定感高めだ」

なんて感じていた。

そう、新しい世界に飛び込むまでは。

「できない自分が許せない」私が陥った沼


教員を退職し「ライター」「コーチ」というチャレンジをするようになって、そんな自己像が180°変わってしまった。

ライターとしてもコーチとしても、「ひよっこ」と言わざるを得ない自分。

何もかも初めてのことばかりで、とまどうばかりだ。

学校現場しか知らないからビジネスマナーもちんぷんかんぷん。

がむしゃらに勉強しながらなんとか書いたりセッションしたりするけれど、自分の理想像とは程遠い。

そんな毎日の中で、だんだんと、

「”ダメな自分”を受け入れたくない」
「”できない自分”が許せない」


そう感じることが増えていった。

そのくせ、どういうわけか、根拠もなく、「こんなの、できて当たり前」と思う不遜な自分もいた。

もし運良く「できた」としても「それが当たり前」だから、嬉しくもなんともない。

そしてできないと自分を責めて落ち込む。この繰り返し。

私は次第に消耗していった。

「なんか最近、自己肯定感下がってるかも?」

そう感じ、宮崎さんの著書『鋼の自己肯定感』を手に取ったのだった。

本当の自己肯定感は、失敗しても下がらない


宮崎さんとの出会いで、私の「自己肯定感観」(声に出して読むとヘンだけれど)は劇的に変わった。

詳しくはぜひ取材記事をお読みいただきたい。

自己肯定感は、失敗して下がるようなものではなかったのだ。

著書を読んですでに目からウロコがぼろぼろと落ちていたのだが、実際に宮崎さんご本人からお話を伺うことで、より学びが深まった。

(本当に本当に、インタビューライターの役得である。)

おかげで、最近の私は少しずつ、「自分の親友」になりつつある。

そしてもう一つ大きな収穫だったのが、子育てと自己肯定感の関係だ。

親として、我が子に「高い自己肯定感をもってほしい」と願わない人はいないだろう。

私ももちろんその一人だ。

宮崎さんの取材では、子育てに関してもたくさんのお話をいただいた。

その言葉ひとつひとつに深くうなずき、納得した私は、自分もそういう子育てができそうだと感じた。

が、それはあくまで「できそう」と思ったに過ぎなかったのだと、「テスト」を通して知ることになる。

地区の行事に我が子を「差し出す」!?


私は今年度、地元の子ども会役員をしている。

そもそもなぜ役員になったかというと、昨年度、次男が多くの子ども会行事に参加していたからだ。

こんなにお世話になっているのだから、というご恩返しの気持ちで、私は手を挙げた。

これまでできなかった地域への貢献をしたいという気持ちもあった。

だが、しかし。

子どもの気持ちとは移り変わるもので、今年度の次男はあまり子ども会行事に参加していない。

まあそんなもんかと思いつつ、私は私で役員の仕事をそれなりに楽しんでいた。

そんな中、ちょっとした問題が持ち上がった。

ある行事に、参加者が集まらないのである。

子どもが集まらなければ、行事自体が成立しない。

必死で募集をかけつつ、役員仲間のあいだでも、「我が子に参加を促してみよう」ということになった。

私も次男に声をかけたのだが、彼は全く参加に前向きではない。

「役員の子どもなんだから、お母さんに協力すると思って、参加してよ」

「そもそも、お母さんが役員になったの、あなたのせいなんだからね」

次男にそう言いたくなった。

というか、ちょっと前の自分なら絶対に言っていたと思う。


けれど、宮崎さんのお話から学んだことが、私をそっと引き止めてくれた。

「子どもの判断を尊重する」

「親の価値観を押し付けないことが大事」

次男の興味関心は移り変わっているんだ。

彼には彼の友人関係があり、やりたいことがあり、今感じる「心地よさ」がある。

今の彼にとって、この行事は「やりたいこと」ではないんだ。

「役員の子どもだから」という理由で行事への参加を促すのは、違うのかもしれない。

そう考え、私はしつこく我が子を勧誘するのをやめた。



我が子を一人の人間として認め、その選択を尊重する。

一見当たり前のようなことだが、私にとっては簡単ではなかった。

役員としての面目や後ろめたさ、他の役員さんに申し訳ないという気持ち。

自分の思い通りに行動してくれない我が子に対してのモヤモヤ。

いろんな感情がわいてきたけれど、それらすべていったん受け止め、受け入れて、流した。

他者と自分の「尊重」は通じている


どんな自分も受け入れ、愛すること。

これが本当にできていると、人は他者に対しても寛容になれる。

逆に、自分を根っこのところで認めておらず、責め続けていると、他者に対しても同じことをしてしまうような気がする。

「自己肯定感」はすべてに通じるのだ。

宮崎さんのお話は、生き方全般についての大切なことを教えてくれた。

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Molecule(マレキュール)では、他にもたくさんの「わたし探求」ストーリーが紹介されています。

取材から感じたことをライターが思い切り語る「編集後記」はこちらです。


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