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【後鳥羽上皇流刑伝説 #2 二つの配流ルート】比和ルートと君田ルート

おはようございます。流刑伝説の2回目です。

1.史実の配流ルートについて

後鳥羽上皇や承久の乱については、ネットに多くの情報がありますので、ここでは言及しません。
どうぞ、一度、検索してみてください。

後鳥羽上皇が隠岐の島に配流された時のルートについては、はっきりとわかっていません。後醍醐天皇が配流された時のルートは比較的、明確になっており、各地の伝承の場所や桜などが存在しています。
承久の乱を記録した「承久記」には、数カ所の地名の記述があるだけで、ルートは示されていません。また、承久記には異本も多く存在しています。

乱の戦後処理で、後鳥羽上皇、土御門上皇(四国に配流)、順徳上皇(佐渡島に配流)の三上皇が配流になり、朝廷の権威が一気に失墜していく時代でもあります。貴族から武士への権威移行が進む過程で、配流については極秘行動であったことには間違いがないと考えられます。ですので、意図的に、配流ルートを後世に残さなかったかもしれません。

後鳥羽上皇の配流ルートは、京の鳥羽殿を出て、旧山陽道を西進して、播磨から美作の出雲街道を経由して、津山(院庄)を通って、伯耆(根雨町)から出雲に抜けたと考えられます。
史実の配流ルートについては、このシリーズの最後に検討したいと思っています。

2.伝説の配流ルートについて

伝説の配流ルートについては、まとまったものが、書籍やネットにありません。私の調べた範囲で示したいと思います。南から北に並べましたが、一部、順番が違うものがあります。ご了承ください。

1.長井の浦(糸崎港)
2.糸崎神社
3.御山公園
4.三原後山
5.平家八幡神社
6.尾道市三成
7.世羅町田打(行在)
8.艮(うしとら)神社(吉舎町)
9.吉舎町(三次市)
10.登美志山
11.皇渡橋(おおわたりばし)
12.三良坂町仁賀
13.仮屋迫皇子権現社
14.皇宇根(おおうね)
15.諏訪神社
16.大内山神社(濁川町)
17.王居峠神社
18.王居峠(おおいとうげ)
19.御所地山
20.蔀山(しとみやま)
21.功徳寺(高野町)
22.中山神社(高野町)
23.黒木神社(高野町)(黒木御所)
24.王貫峠(おおぬきとうげ)
25.沖ノ郷山(飯南町)
26.出雲三成(奥出雲町)

3.二つめの配流ルート

伝説の配流ルートは、二つあります。
庄原市で二つに分離して、庄原市から国道432号線沿いに高野町へ進む、上記の「比和ルート」と西側の三次市君田町を経由して県道456号線沿いに高野町へ進む「君田ルート」があります。
二つのルートは、「16.大内山神社(濁川町)」で分離して、「21.功徳寺(高野町)」に合流します。

君田ルートとしては下記の場所があります。
27.後山
28.棒地山
29.沖の原
30.御所が原
31.御船淵(竜王社)
32.沓が原
#1では「29.沖の原」を紹介しました。

配流ルートではないのですが、伝承が残っています。
33.後鳥羽院御陵(天皇陵)
34.後鳥羽院尊儀(墓碑)
35.蓮照寺(安芸高田市高宮町)
36.高宮町佐々部(式敷)
33と34は、同じ、三次市作木町に存在しています。

4.備後伝説と言われる理由

伝説が残る土地を現在の市町村で言えば、三原市、尾道市、世羅郡世羅町、三次市、庄原市、仁多郡奥出雲町になります。出雲三成が後鳥羽上皇流刑伝説終焉の地です。出雲三成から雲南市、出雲市を経由して、隠岐の島に向かうはずですが、これ以降の地に伝説は残されていません。
尾道の三成から始まって、出雲の三成で終わります。この点からも、史実ではなく伝説であることがわかります。また、吉舎町と高野町が伝説の中心地です。どちらも備後地方になりますので、流刑伝説が備後伝説と言われる所以(ゆえん)でもあります。

5.最後に

これからも伝説の地を紹介していきます。お待ちください。

冒頭の写真は旧尾道駅です。今は建て替えられ、新しくなっています。

伝説の始まりの地としての紹介は、旧駅舎のほうが趣があると思い、2007年の写真を使用しました。

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