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美しさは筋肉から

俳優やモデルだけでなく、普通に道を歩いている人でも目を惹く人はいる。それは、顔の美しさだったり、服の可愛さだったり、纏うオーラだったり。人それぞれポイントはバラバラだろうが、私はとにかく「人体のフォルムの美しさ」に目が惹かれる人間だ。人体なんて言葉を使うと、まるでマッドサイエンティストのようだが、他に言い表しようがない。

きっかけは、何を隠そう羽生結弦くんだった。
あの伝説の2012年仏ニースのロミオとジュリエット。若干17歳の新星が舞う、神がかり的に曲の物語と成長途上の技術力があいまったフリー。世界中の人々の記憶にいまもなお鮮明に残っていると思う。例外なく私もその1人だ。ただ、当時の私に鮮明に焼き付いたのは、その身体の美しさだった。一本芯が通ったように高速回転する4回転ジャンプ、しなやかに曲がってみせるイナバウアー、恐ろしいほど高く上がるビールマン。長く伸びる手足は無駄な脂肪など削ぎ落とされていて、どこを切り取っても常に美しい形をとり続けていた。その身体の美しさに衝撃を受けた。こう書くと変態的だけど、本当にただただ身体のフォルムの美しさに目を奪われた。

大学時代にストリートダンスを始めたのも、音楽にのって踊りたいというよりは、自分も美しいフォルムを手に入れたいという思いが少しあったからだ。そして、実際にやってみて感じたことがある。

それは、あの身体の美しさは筋肉に支えられているということだ。

人間の身体には可動域というのがあり、その可動域を広げるためにはその部位を動かすのに必要な筋肉を鍛える必要がある。例えば、新しい学校のリーダーズのオトナブルーのサビのダンスで顔を横にスライドさせる動きを見たことがあるだろうか。あれは首と顔の付け根あたりの筋肉を動かすのだが、そこを鍛えてないとただ頭を傾けるだけの動きになってしまう。その動きができるかできないかだけで、驚くほどにパッと見た時の身体の美しさに差ができてしまう。

動きを止めるという行為にも筋肉は重要な役割を果たしている。動くときよりも止めるときのほうが実は筋肉には負荷がかかっている。プランクをしたことのある人には分かると思うが、横に揺れるときより止まってるときのほうが遥かにしんどい。美しい角度で手や脚の位置を停止し続けるには、それなりに筋肉が必要なのだ。

以前何かで読んだ英国バレエ団のプリンシパルまで登り詰めた吉田都さんの記事で、ずっと頭に残っている言葉がある。(朧げなので間違っていたらすみません。)

「恵まれた体格ではなかったけれど、とにかく自分が1番美しく見える角度を追求し続けた。」

欧米の方達とは身長も体格も全く異なる中で、その美しい角度の動きを何時間も維持するための筋肉を鍛えるのにどれほどの時間を費やしたのかと思うと、本当に尊敬の気持ちしかない。そして、彼女の言葉を思い出すたびに勇気が湧いてくる。

私も、身長とか体格とか頭身バランスとか、上げたらキリがないほどコンプレックスだらけだ。でも、そんな私の身体でも筋肉を鍛えれば美しいと思わせる可能性を秘めていると思うと、なんだか自分の身体が愛おしく思えてくる。

そんなことを思いながら背筋や腹筋を地道に続けていたある日。鏡に映る自分を見て、肩の位置が少し下がっていることに気がついた。骨格ナチュラルだかなんだか知らないが、いつもはどう頑張ってもフレームのように角張って存在感を放つ私の肩。その肩がその日はなんだかなだらかに見えた。

それは初めて自分の身体のフォルムを美しいと思えた瞬間だった。

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