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「受験英語」有用論

英語教育において、とりわけ「受験英語」は槍玉に挙げられることが多い。

昔の人であるなら、中高6年間も勉強したのに全く話せないじゃないか!
このような怨嗟の声がとんでくるのが容易に聞こえる。

しかし、これは受験英語の本質を見誤っているに過ぎない。


義務教育が提供し得るものとは何か

そもそもにおいての話であるが、日本の英語教育においては、義務教育で「流暢に話す」ことはあまり力点が置かれていない。

そうであるから、話せないじゃないか!と批判するのは、お門違いであると言える。

では、義務教育において提供されうるものは何かというと、それは英語を話す力の「潜在可能性」である。

潜在可能性とは何かと言うと、それは、その人個人が英語を話したいと思ったときに、話すベースが提供されているということである。

そもそも義務教育だけで、英語がペラペラになることなどない。
たった週4、5時間学習するだけでは、英語力は微動だにしないであろう。

英語を「マスター」した者は、皆すべからく、血の滲むような努力をしている。
だからこそ、義務教育をただ受けただけで英語が話せるようになるというのは、幻想なのである。


見直される「受験英語」の有用性

ここで本題に戻ろう。「受験英語」と聞くと、いかにも堅苦しくて、そこにスピーキング上達の萌芽はないように感じる。

しかしであるが、「受験英語」に真剣に取り組めば取り組むほどスピーキング上達は早くなる

受験英語はいわば、あらゆることの基礎である。
土台がしっかりしていなければ、いい家が建たないように、基礎がしっかりとしていなければ、しっかりとした英語が話せるわけがない。

それと、何かと批判されがちであるが、受験において英語が「読む力」に重点を置いている点も見逃せない。

読む力というのは非常に重要である。
結論から言ってしまうと、読めないものは聞こえないし、読めないものは書けないし、読めないものが当然、話せるはずがない。

いわば、「読み」は全てのベースなのである。


そしてさらに重要な点は、読みの力は転化するということである。

それは、話すことに際してもそうだ。
例えば、英文を読む中で意識して副詞など、話す際に有用な表現を拾っていく。
すると、自分の話す力が、めきめきと上達していくのを感じるだろう。


結論

ここまで、義務教育における英語、および受験英語を軽く論じたが、どう感じただろうか。
これに首を縦に振ったあなた。
もう一度、受験英語を勉強し直すのはどうであろうか。