LINEの罪
まず前提として、日本語はコンテクストを読み取ることが重要な言語である。
「阿吽の呼吸」という言葉にもある通り、日本語においては高度な「察し」の能力が要求される。
そのような点においてLINEは非常に罪深い。
なぜならLINEは高コンテクストツールの際たるものだからである。
これは、日本流の会話に合わない者を容易に排除する。
選別の装置として、LINEは優秀である。
しかしその行き過ぎた便利さが、人間を「ウチ」と「ソト」に分ける機能を加速させ、人間関係を均質なものへと収斂させるのである。
社会に深く根付いたSNSおよび、コミュニケーションツールは、コミュニケーション自体を矮小化し、人間の質そのものを劣位なものへと、低下しかねない。