見出し画像

優等生から問題児になり、家族全員を学校に呼ばれた自分に伝えたいこと


明けましておめでとうございます。
今年最初の投稿は、私の今までの過去をまとめさせて頂きました。

・はじめに

 前々から自分の人生をまとめて本にしたいなと思っておりました。今回この様なキッカケがあり、「ここだ!」と思いました。ただの自己満でしかない。ですので、出版をするというより、まとめさせて頂いたと言うのが正解です。
 私は、真面目ではありますが、その真面目さが、引っ込み思案やネガティブと裏目に出ております。そんな中で小学校3年生の頃には、学校に家族全員を呼ばれるという問題児になってしまいました。今となっては、その真面目さが故に、パニック障害になっております。この様な波瀾万丈な私の過去を今回は、高校生までの期間、私の記憶のある事のみで書かせて頂きます。
 私の過去のまとめですが、私と同じ様に真面目な方、引っ込み思案、ネガティブな方やそんな方が身の回りにいらっしゃる方に読んで頂きたいです。
きっと共感してもらえる部分があります。

・目次
①誕生~幼少期(0歳~6歳)
 伝えたいこと
  「周りを気にせず、自己中心的に楽しんでほしい」
②小学生、人生を変えた3年生
 伝えたいこと
  「悪い事ばかりじゃないから、前を向いてほしい」
③中学生、高校生
 伝えたいこと
  「勉強はイマイチだったけど、毎日学校に行ってくれてありがとう」


①誕生~幼少期(0歳~6歳)
 平成生まれの男の子。姉が2人いる、末っ子長男の男の子。それが私。
この頃の記憶はほとんどない。幼稚園にいる頃の記憶はあるが、それが夢が現実かハッキリしない。でも1つだけ明確に覚えている。
「引っ込み思案で真面目な性格」だということ。これは、現在もあまり変わらない。この頃は幼稚園に行き、遊んで過ごすぐらいしかなかった。なのにいつ「引っ込み思案」が出ていたのか。今思えば、そんな事で?と感じる事ばっかり。通園のバスに乗り、挨拶をする時。幼稚園の教室で座っている時。給食の時。こんな時でさえ、緊張していた。ましては、運動会、発表会なんて緊張の余り、落ち着いていられない、ただドキドキしていた。こんなに小さい時から緊張をし、精神的に疲れていただろうなと思う。こんな事を思えるのは過去だからだ。もし、今の幼稚園生に、緊張するとストレスが溜まるから疲れるよ、なんて言った所で何も変わらない。そんな事を言ってもきっと理解されないと思う。なので、これはもうその子次第という事になる。もちろん、私と同じ様に、些細な事で緊張をしてしまう子もいると思う。でも、全員ではない。中にはこの頃から目立つ事が好きで、怖いもの知らずな子もいる。ヒーローやアイドルに憧れを抱き、将来なりたいと思ってる子などだ。これから見えた事、それは「ポジティブとネガティブ」だ。先程の目立つ事が好きな子は「ポジティブ」、私の様な子を「ネガティブ」として考えられる。実際、私は今もネガティブだ。今もネガティブだが、この頃の私は今以上に、「ネガティブな引っ込み思案」という言い方がとても合う。
 伝えたいこと
そんな幼少期の私に伝えたい事は、「周りを気にせず自己中心的に楽しんでほしい」と言う事だ。姉が2人いる環境で育ち、競争心等が無く、人の事を思いながら過ごしているので、周りを気にしちゃうのは仕方ないがそれが、現在の仕事まで影響している。周りを気にしすぎてストレスが溜まっている。それはこの性格が原因と自覚している。人に優しくできているから悪い事だけではない。優しすぎると言ってもらえる程だ。でも、もう少しリラックスして、自分の楽しいように幼稚園で遊べたら将来がもっと楽しい毎日になる。そう伝えたい。

②小学生、人生を変えた3年生
 小学校に入学し、「引っ込み思案」、「ネガティブ」の性格は、加速した。人見知りである私にとって大きく環境が変わる入学というのは、嫌いな行事だった。学校が楽しいと思わず、1年生の頃は、学校に行くのを嫌がった。授業中はもちろん、休み時間も周りに気を遣い、自分がしたい遊びを言わずに周りに合わせていた。いつでもどこでも緊張とは離れられなかった。その分、金曜日の学校終わった後は、すごく嬉かった。土、日曜日と2日だけの休みだが、私にはとても大きかった。自分の好きなことが出来る。緊張から少し解消される。だが、その2日はあっという間に過ぎる。日曜の夜から緊張。とてもネガティブになる。嫌々ながらも学校に行く。時には、泣き叫んでどうにか休んだ。そこまでする子だった。そんな子も、少しずつ慣れていき、1年生の後半は頑張るようになった。緊張はするけど、学校に行くのは嫌だけど、学校に行った。毎週土、日を楽しみにして。2年生になり、私は皆勤で学校に行っていた。1年生の頃には考えられない。どうにかして学校を休むのを考えていたのに。大きく変わった事もない。今思い出しても不思議だ。順調になったかと思ったが、翌年大きく事が反転する。
 3年生。冒頭でも書いたが、この1年間で人生を変えたと言っても過言ではない。それは家族全員が呼ばれたからだ。
親を呼ばれると言うのは聞いた事あったが、家族全員を呼ばれるなんて、今思うと相当だなと思う。呼ばれた理由としては万引きやイタズラをして社会に迷惑をかけたりはしていない。友達とケンカもしていない。学校に行かなかったからだ。ここへ来て、また学校へ行きたくない。1年生の時以上に。
これはある意味、問題児だ。こんな問題児になった理由として、今考えられるのが、はじめてのクラス替えで、仲が良かった子と違うクラスになり、また人見知りで緊張していたから。もう1つが、この時の担任の先生は、優しい女性の先生で仲良くして頂いたのだが、ある日、私が漢字の間違いが多くて、みんなと同じ宿題とは別に、漢字の自主勉強をする様にと言われた。今思えば、先生は何も悪くなく、当たり前の事を言っているのに、当時の私は、とても強く言われたと感じ、ショックを受けた。そこから気持ちが狂いだし、学校に行きたくなくなった。その割に、自主勉強は、しっかりした。でも、行きたくない。最初の2日間は休ませてもらえたが、やはり両親も限界がある。車で学校に連れていったり、遅刻してでも行かせたりした。それでも学校に行っても早退をして帰る事が多い。ある朝、家にいても学校に連れていかれると分かった為、私は家出をした。とは言っても、家から200m程。かわいい家出だ。いや、散歩とも言えるが、散歩にしても短い。小学校3年生の私はこのぐらいの頭しか無かった。想像はつくと思うが、すぐに見つかり、車で学校へ。泣きながらの登校は何回目か。先生方も呆れるだろう。こんな毎日が続いていたからか、いつしか校長先生の元にも話がいく。まずは私に話をされた。校長先生と言えども、私はとにかく学校自体が嫌だったので、誰に何を言われようが関係無かった。そこから、両親にも話がいき、そして最終的には姉2人も呼ばれ、家族全員に。両親は仕事、姉2人も学生だったので、いい迷惑だ。今となり、本当に申し訳ない。そんな家族の協力もあり、時間はかかったが、3年生の内に、しっかり歩いて学校へ行き、早退もせずに通う事が出来た。校長先生にも頻繁に話しかけて頂き、楽しく話した。校長先生にあんなに迷惑をかけ、たくさん話かけてもらった事がある小学生は稀だと思う。そんな1年を過ごした。この頃は特に大きく考えなかった。というより考えられなかったが、この経験が後にとてもいい影響になっている。翌年の4年生は皆勤、5年生は1日だけ欠席、6年生は皆勤と、学校に元気に通っている。それも嫌々ではなく、楽しく。少し大人になれたのかなとも思うが、1番は3年生の時に、あんなに大きな事件があったから。そう感じている。とても多くの方に迷惑をかけたが、今、それについて責められる事は無いし、家族とも仲良くしてもらえてる。いろんな人に支えられていると大きく実感出来た事件となった。
 伝えたいこと
「普通の子ならしないことをして、たくさんの人に迷惑をかけたのはしっかり反省しよう。でも、それがあったからこそ、今、周りの人の為に頑張れたり、考え方を変えることが出来た。悪い事ばかりじゃないから、前を向いてほしい」と言うことを伝えたい。理由としてはそのまま。恥ずかしい過去になっているが、今となっては、笑い話。自分の話のネタとしていいものを手に入れた。そう思えるぐらい、今は悔いなし。

中学生、高校生
 小学校6年間と比べ、中学、高校の6年間は、大きな話題が無い。それは、6年間皆勤の大真面目だったからだ。なので、大した事は書けないが、小学校3年生での経験がここで大きく活きたということは、声を大にして言いたい。高校や大学の入学試験、就職活動において、出席日数というのは、とても大きな判断材料。それを私は実体験を基に証明出来る。まず、高校入試では、私立2校と第一志望の公立1校に全て合格。学校での成績は、半分以下で下から数えたほうが早い。特に第一志望の公立については、当時、試験に前期と後期があり、前期は面接と論文のみを行い、合否を決めるのだが、私は前期で合格した。それも倍率3倍ほどある、少し高い学科を。私には大きな魅力がある訳でもなく、成績も半分以下。何を評価されたかというと皆勤ということだろう。いくら成績が良くなくても、毎日しっかり学校に行くことで道が広がるということを実感。高校でも、3年間皆勤で通い、第一志望の会社へ就職。今は転職をし、違う会社だが、中学、高校の6年間皆勤というのは、社会人になった今でも、大きな武器になっている。
 伝えたいこと
中学と高校は充実した学校生活になっている。良いことだけではなく、悪いこともあったが、全て乗り越えられて、今、悔いなく学生生活を終えて社会人になれている。一生懸命だった部活動は怪我に泣いていい結果が出なかった。でも、楽しかった。高校の卒業式では、自分でもびっくりするぐらい泣いた。そのぐらい充実していた。伝えたいことは、「勉強はイマイチだったけど、毎日学校に行ってくれてありがとう。」

・後書き

 いかがだったでしょうか?生まれてから高校3年生まで、自分が覚えている事のみで書かせて頂きました。これら以外にも社会人になってからの事や、家族が覚えているエピソード、私を救ってくれた女性の事など、今回書けなかった部分もありますので、またいつかこの様なキッカケがあれば書かせて頂きます。今回の部分で共感して頂けたり、参考になったと1人でも思って頂けたら幸いです。今回は目にして頂き、ありがとうございました。
では、いい人生を!

#創作大賞2022



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?