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PEX_004 展示経験ゼロの僕が個展を開くまでsono4 実は個展終わりました

少し精神的に滅入っていて、noteの更新を怠っていました。何をするにしても心と体のバランスは大切ですね。崩すと言っても、仕事や生活に支障のないレベルで至って健康で元気なのですが。モチベーションが向かないことってありますよね。

さて、タイトルの通りで実は、個展終わりました。
一言言うなら、「出来ちゃいました」
展示を一人でやると言うのは、お芝居でいうところの音響も照明も、舞台装置もシナリオも演者も全部一人でやるってことなんですね。もちろん、撮影のテーマや主被写体に人の存在があるのでそこは避けられませんが。

個展「She is …」

撮影を行ったのは4月23日だった。うまく動いてくれないCONTAX T2もいい思い出。

今回の展示のタイトル、テーマは、僕にとって大切だと思う人でした。と言っても、その人と特別な関係ではないし、あくまでフォトグラファーとテーマとなる被写体さんとの関係。それでも、感情の移入はあるんです。人として、その人を大切に思ったり気にかけたり、その人が持っているバックボーンも含めて愛しているから撮れるものがあると思っています。
ここで告白するわけですが、展示をするにあたって最初は複数の女性モデルさんを主眼にタイトルに合わせて撮影を進めていこうと考えていました。なぜその方向性が変わったかと言うと、一つは統一性。主被写体とする人物が変わった中で、僕が描きたい世界観が描き切れるのか。すごく悩みました。
そして先に述べた感情移入。
日常とその人が持っている儚さとか雰囲気がとても好きで、でもうまく表現できるかは全く別問題なんですね。でも、会いに行って、撮って、それを展示するプロセスのなかで、人を撮ることが好きなんだなと再認識できたことが大きかったです。

撮影とセレクトの労力

こんなにも雨が降るのか?と思った青島。靴の中もびしょびしょで申し訳なかった。


会社員にとって、休日を確保し、撮影をし、仕上げると言う作業は、2つの本業を持っているような感覚です。使っている部分が体と経験なのか、心なのかの違いはありますが。
展示はデジタルではなく、プリントです。デジタルの画面でセレクトしたり、レイアウトを考えたりと試行錯誤の連続。実際にプリントをかけてみないと感覚に沿っているかまで見えてこないことが悩みになりました。展示予定枚数通りに刷ってみたものの、実際に使わなかった写真もありました。展示スペースにて並べてみると、「あ、違うな」があるんですね。SNSの画面で見慣れた写真も大きなキャンバスに並べると違うんだと。2回も「違う」と言うくらい、違いを実感しました。
そして、写真を選ぶ行為そのものにも、現時点の自分のポテンシャルが出てしまうものなんだとも。

好きを形にすると言うこと

思い描いたものが撮れたわけではないけど、ありのままを残したかったし、残ってくれた。


いわゆるゴールを持って取り組むことは、こと創作活動においては重要だと考えています。僕は過去に営業をやっていたので営業という仕事は、ノルマがありそれがゴールなんだけど、月が変わればリセットされ、ノルマの繰り返し作業であるを経験しています。ゴールのようなものはあるけど永遠とリピートすることで達成意欲は繰り返すほど削がれていく感覚です。
仕事=作品=WORKは、終わりがあるものが欲しいし、そこに達成感なるものが見出せる。文化的な創作が好きな背景はこれなのです。展示は、企画・撮影・仕上げ・設営、そして展示の日を迎えるという明確なゴールがあるから楽しいものです。もちろん、達成感があります。
好きを形にすることで達成感と、そして、終わったときの喪失感も。次のゴールを見据える力がないと、気持ちが切れてしまう、ある意味創作もマラソンです。
形にできるだけの時間とお金と人とのつながりがあること、そればかりは今の自分の環境形成をしてくれている状況に感謝です。(人のウェイトが大きいのはいうまでもありません)


雨が降ったのは、ある意味偶然で運命的。昔、雨降りで撮りに行ったことがあったなと思い出せた。

次回は、費用のお話
展示にしろ、撮影にしろ、お金がかかるのは当たり前です。実際にかかった費用の概算を次回はお話ししようと思います。
個展。頑張れば誰でもできます!だって、右も左もわからない初めて個展をするような僕ができたんですから。

それではまた!



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