書きたいことがあるからではなく*書きたい気持ちがあるからという違い
早川さんの純愛(女性はエロと読み替えていいです)は、ほんわかだ。
「大陰唇と小陰唇とどっちが好き?」
「大陰唇」
「僕は小陰唇かな?可愛いから」
みたいな話題から始まるエッセイ本もあった。
確か「生きがいは愛しあうことだけ」だったような。
「たましいの場所」では、
詩人というのは野性的になれるというのも、私に教えてくれた。
「電線渡り」という詩で、室生犀星は
「空いつぱい お〇んこになり お前の声はする」と、
好きだった春子さんという女性に送ったらしい・・・。
「妻が逝って空ばかり写していた」という写真家アラーキーも
表現は違えど、奥様を愛されていたのだろうなと思う。
年齢を重ねてパートナーに先立たれた男性は、どこかに頼りなさを感じる。
かたや純愛(エロ)を写真で表し、かたや言葉を詰め込む。
早川さんのエッセイには真面目さがいっぱい詰まっていて、
女性が読むと母性愛がくすぐられると思う。
歌うのをやめて裏方になった時に、他の人の音楽が雑音に聞こえて
居たたまれなくなって、本屋さんに職業を変えたという話。
(嫉妬だろうか)と綴っていたけれど、半分はそうで、
半分は自分の「歌いたい」という気持ちを抑えられなかったんだと思う。
売れるとか売れないとか、職業になるとかならないとか以前に、
誰しもそういう「気持ち」が何かしらあるのだと思う。
私も書きたいことがあるからではなく、書きたい気持ちがあるから
ただ言葉を並べたくなるのだと思う。
日常の平凡な暮らしの中になにか湧き出る思いがあって、
歌になったり、詩になったり、写真になったりするんだなぁと思う。
それもひとつの情報であり、伝達手段だと思う。
恋人にあてた詩では、言葉を使って文章を駆使して伝えたかったのは
「やりたい」というその気持ちだ(失礼ですが)。
どんなに言葉を尽くしても尽くしても、伝え足りない純愛(エロ)を思う。
今の時代感覚に変えたら、この詩はどんな言葉になるんだろうか。
時代を経て変らない思いも、
その言葉感覚で胸を打つものはちがうのかな。
その人の好みというものもあるからねえ。
私が野菊、春子なら「やりたい」が充満しすぎて息もできないけど、
早川さんの純愛(エロ)は、とりあえずため息はつけるので、
優しいその文章に身を任すことができる。
だから早川さんの本は、
(なんだか愛おしいなあ)って気持ちが湧いてくる。
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