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囲われた祈り*海嘯記

娘はあきらめているんです。

あんなに海の近くで働いていたから、
助かるわけなんてないじゃないですか。

生きていたらそれこそ奇跡というもんですよ。

あきらめてます。仕方ないでしょう。

そうですか、知らない老夫婦の所にお世話になったんですか。

五体満足で戻ってこれて良かったじゃないですか。

実は心配していたうちの娘も帰ってきたんです。

上司がどこからか車を調達して、時間をかけて送り届けてくれました。

瓦礫を乗り越えて、あちこちの避難所を捜し歩いても、
行方が掴めず途方にくれてましたが、わからなかったはずです。

以前働いてた女性のお宅で、会社の二十何人か泊めてもらったんですよ。

その晩は、眼下の火事や爆発の音で恐ろしかったと話していました。


私は対岸からそれを見てました。

眠れませんでしたね。

うちのあたりは、どこもかしこも重油で真っ黒です。

残った建物の外壁も、庭木も、本当に何もかも真っ黒です。

戦後の風景ってこんな感じかも知れませんね。

もう少し南の、そうそうあのあたりわかりますか。

なんだかね、残ったお宅がたった三軒で、
そこに八十何人かで分散して過ごしてるそうですよ。

仕方ないですね。

どこもかしこも孤立して道路が道路じゃないんだし。



一本道ばかりで他に道がなければ、こうなるのも当たり前ですよ。

籠の鳥のように、ただ待つしかないってことですか。

道路を作りすぎるとかって、いったいどこの国のことですかね。

地方はあちこち道路が不足してる感じですがね。

財源が不足?

無駄遣いの温床?

声を出さないからいけない?

それはなんかのトリックのつもりですかね?

そんなことだって、ただ政治の駆け引きの道具でしょうが。


そういえば政府はなんかやってんのか。

横文字ばっかり使いまくって、お前ら日本語知らんのか。

ビジョンでも立ちションでも構わんが、先のこと考えてんのか。

もたもた舵取りしてたら、日本沈没ってわかってんのか。

お得意の先行き不透明で、
国民の安全も保障も絵空事だと証明しちまったな。

そんなこと言ってる場合じゃないことはわかってる。

だがな~その頭ん中は今すぐどうにかならんのかっ。


ともかく毎日探してます。

次の日も行けるとこまで行って見ました。

近所の人達がガソリンを分けてくれましたから。

使い物にならない車からも抜いて貰って、
船外機用のガソリンまで貰って探してますが、まだ見つかりません。

女性の遺体は何百人確認したのか、もう数え切れません。

腐敗がひどくて、発見当時と現在の、写真での確認に変わりました。

生きてることはないでしょうが、
せめて娘の腕一本でも見つけるまではと、あきらめ切れません。

妻の顔をみるのが辛くて、今でもあちこちの遺体安置所通いです。

いつあきらめさせればいいのか、どなたか教えてください。


「人は大丈夫だったよ」
家族の安否を尋ねられた時の、みんなの決まり文句はこうだった。
「それが何よりよ」と安堵する返事も、明るい決まり文句だった。
人と比べるのはいけないとは思いながら、
「親戚で近い人は3人だけだから」と気を使わせないように語る。
でも本当は、他にも一人暮らしの若い女性がなかなか見つからなかった。
かなり片付いてから、若いママも2歳の子と一緒に、
田んぼの泥の中から見つかった。
それなのに何故私は生きてるんだろうと、やはり比べてしまう。
みんな、心配させまい、余計なことは言うまいという気持ちがあった。
親戚や友人や、大切な人を失うあれこれの経験は私にも少なくなかった。
だけども、そういう家族達が、まるで一山百円の見切り品のように
溢れかえる日常がどういうものかは、知識も経験も追い付けなかった。
仮設から新居へは、喜ばしいことなのに夜逃げのように引っ越していく。
初孫が生まれようが、結婚しようが、どんな喜ばしいことも
ひっそりと家族だけでお祝いを行う人や、何も行わない人の方が多かった。
何年経っても普通の結婚式、披露宴というのは珍しいものだった。
中学の時の仲良しが、私を尋ねて「生きていた」と、
声を上げて抱きついて、泣いてくれた。
大粒の涙で顔をぐしゃぐしゃにしていたのに、私は一粒の涙も出なかった。
やらなきゃならないあれこれがいっぱいで泣いてる余裕がなかったと思う。そうか「余裕」か。それかな?冷たい人間ではないのかも。
SMSに投稿しつづけたことも「暇な人間」と自分を位置付けた。
(恵まれている方なんだから、愚痴を言ってはいけない)と
自分を戒めていたけど、それは単に縛り付けていただけなのかも。
ふと思ってしまった。まあ、みんないいように考えるからね。
願いや希望は最低限の、最小のもので満足できた。
「被災した人からも何が欲しいのか、必要なのか、
発信してもらわないと自分達には分からない」という発言も耳にした。
無くしたのは何千アイテムもあるので、優劣ですら付けられない。
何かの団体や組織でもなければ、それは無理難題だ。
人間は「水と希望」があれば、どうにか生きられると知った。
水は国に頼らずとも自然が恵んでくれる。
希望は自分で見出さなければならなくて、人を頼りにはできない。
現実をいうならば、一番欲しいのは現金だった。
現金がなければ何も、必要なものが買えない。
金融機関はなるべく職員を地元へ異動させるなどして、
ハンコも通帳もカードも無くても、信用だけでお金を払いだした。
「今月はこれしか出せない」と言われたお給料は、
現金で5万円だけだったけど(これで何かが買える)と助かった。
私には小さなバッグしか財産が残らなかったけど、その中はハンカチや
化粧品の他に、銀行に振り込み忘れの現金10万円が入っていて助かった。
それでも小銭が少なかったので、釣銭がなくて買えないことがあった。
国よりも素早く、初めて支援金を頂いた台湾の仏教団体のことは忘れない。
あの時も本当に現金で助けられたのだ。
何百人も並んでいたが、進んでいくと椅子が用意されていて、
ヒーリングミュージックが聞こえてくる。
市役所職員が書いた手書きの罹災証明書をただ見せて、
全壊や半壊か分かれば、その場で優しい言葉と
普通の会話とともに現金が手渡された。全壊なので8万円だった。
お金のことをいうのは品のないことと知ってはいるけれど、
どんな災害の被災者も現金が一番助かると思う。
その時、「欲しい」と感じたものが、その場で買えるのだ。
ボランティアで一緒の年上の女性は、衣類の支援物資の仕分けをしていた。
事前に分類する中には、汚れたままの下着すら混じっているので、
「くやしい」と言って、たまたま出会ったお店の中でワンワン泣いた。
スーパーで泣いている人も珍しくないので、誰も気に留めなかった。
災害時には、いろんな人の本当の姿が見えてくるので、本当に面白かった。
面白いという言葉以外に言葉を見つけられない。
仮面を身に付けて生活してる人は、体裁や見栄など役に立たないのだ。
「何も持たないことが幸せだ」と、私なりに実感しつづけた日々だった。


2011年にクローズドの掲示板に投稿しつづけた散文を、
もう、空にでも手放してしまいたいと思う。
直したいと思う文章もそのままに。

数え切れない大勢の方に感謝と尊敬を込めて。
今日で毎日note107日目。


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