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一休宗純*愛することだけが人生だ*生きてる限りロックもブルースも演歌も歌う

伯母のお葬式があった。

こんな時でなければ、知らない親戚と知り合うこともないし、
親戚と、久しぶりに顔を合わせることができる数少ない場だ。

判で押したような顔つきに、
(絶対あのひとはあのおうちの人)みたいな年上の女性に出逢う。

今は認知症で施設にお世話になっている、遠縁だけど親しいおばさんと
優しい笑顔がとてもよく似ている。

向こうも「小さい頃の顔しか知らないからね」と声をかけてきた。

「震災以来結婚式なんかしないから、お葬式や法事は結構楽しみよね」と
遺族に聞かれたら、眉をひそめられるような言葉がさらりと飛び出す。

「そうですよね」と、仕方なく私も同意する。

お通夜では、浄土真宗はこうなのだ、と言われてみんなでお経を読む。

不思議な発音記号がついた冊子を渡される。

参列者が、息継ぎの難しいお経の、静かな合唱でお見送りする。

浄土真宗の本願寺派の第八世法主、蓮如上人と
とても仲が良かったということで、
一休宗純の話題がほとんどの法話をしていただいた。

また尊敬されるべき人物として語られた。

お坊様の紹介は「人生に厳しく生きた人」との人物像だった。

視点がちがって、面白かった。

どこかの記事で

今死んだ 尋ねはするな 
ものはいわぬぞ 


と、一休宗純の辞世の句とされる、好きな句を挟んだことがあるが、
その天上天下唯我独尊な人生には興味がある。

とんちの一休さんのモデルにもなった一休宗純は臨済宗の僧だが、
寺族でもない私には、詩人としての生き方や作品の方が興味がある。

室町時代の京都で、後小松天皇の庶子として生まれたと伝えられている。

6歳で仏門に入り、飛び込みや、飲食を断つなど、
二度の自殺未遂を起こしている。

出自からか、性格からか、権威を否定しても憎まれず、
足利義正と日野富子の幕政を批判し、
飲酒、肉食、男色、女犯を行い、晩年娶った妻は盲目。

まさにロックな風狂詩人だ。

お釈迦様自身も、裕福な家から妻子を捨てて出奔するのだから、
ロックの教祖といえなくもないが、その教祖さえも詩にする。

釈迦といふ  いたづらものが世にいでて  
おほくの人を まよはするかな

庶民にも人気があった宗純は、浮世と近いところで、
ロックからブルースを歌い始める。

世の中は起きて糞して 寝て食って
後は死ぬるを 待つばかりなり
南無釈迦じゃ  娑婆じゃ 地獄じゃ  苦じゃ楽じゃ
どうじゃこうじゃと  いうが愚かじゃ

自分の人生ではなく「人生というもの」を謳歌して
死んでやるぞと思ったのか、悟りなどこの世にないことを
自ら確認するような笑みを感じるのは、女性の登場する詩からだ。

「狂雲集」には遊郭に通っていたその生活も偲ばれる。

お経さえ読んでれば、坊主は一生くいっぱぐれない。
適当に無知になってれば大金は入る。
男色に遊び、尼さんもものにして、どっかの部屋で
ピュッピュッと白雪を飛ばせてれば気持ちよさ限りない。

一見ただのどうしようもないエロ坊主だ。

エロ坊主は権威が失墜してる朝廷のため悪魔にならん、とさえ歌う。

78歳の頃に、40歳位の目の不自由な女性、森女を妻にした。

純愛にひたる演歌の世界と思う。

「木はしぼみ葉落ちた自分だが、春がめぐってきた。
  森の情恩は 未来永劫忘れはしない」

 「一代風流の美人、野に遊ぶ姿、寝顔はなんて可愛いんだ」

 「森の女陰は水仙の香りがする、森の体を望めば、
  森はわしの腰間をまさぐる、枯れた梅の古木も蘇ってきた」

『狂雲集』にみる赤裸々な性表現 - 尺八と一休語りの虚無僧一路 (goo.ne.jp)


お坊様の法話は一休宗純の話の最後に、
「仏教は煩悩を断じない」と結んで、
その場にいる参列者に、この世の悲哀を慰めたように思えた。

一休宗純は心折れながら、すべてを愛そうとしたのだと思う。

そして神様か仏さまが、最後に妻を与えてくださった。

きっと、ただ愛することだけが人生だ。



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