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無鉄砲が無鉄砲を見下ろす

子供の頃から無鉄砲で…
夏目漱石の坊ちゃんの一節

私はまさにそんな子だった

ベビーブームで子供が多かった世代
あちらこちらに子供がいて賑やかだった。

朝から晩まで遊びまわり
真っ黒くろすけなみに日焼けした

今なら、日焼け止めを…と言われてしまうかもしれないが、当時は「黒い肌」が健康だと言われていた。

肌の黒さを競う大会まであった。

その大会に私は嫌々参加して、優勝してしまった…

幼馴染が出たい、でも、一人じゃ嫌だと言ったから出たのだけど…

私は黒い肌が嫌いだった
いじめられてもいた

同じ年齢の子達から比べると
身長も色の黒さも…
目立ちたくないのに、目立ってしまう

色黒なのには理由があった

私は今でいうアトピー性皮膚炎だった。

その頃、まだ、アトピー性皮膚炎という名前はなかったら脱脂肪病と呼ばれていたと聞くのは大人になってから。

当時、まだステロイドもない時代だったから
母は苦労したと思う。

色んな民間療法が流行った。

そのうちの一つに『陽に当たる』というのが
あった。

陽に当たって消毒(?)するのが目的らしい。

潮風にあたるというのもあり、
母は夏になると、海に連れて行ってくれた。
ベタベタになる潮風が私は嫌いだった。

本来、無鉄砲だから
外で遊べ!と言われれば一日中遊びまわり
泥と汗で真っ黒になっていた。

父は「女の子ってこんなに活発(ちょっとだけいい変え)なのか」とため息をついた

そんなこんなだから
良くも悪くも目立ってしまう。

男の子のばかりの所に入り込んで遊ぶので
女の子として見てくれるのはわずか…

みるみる色が黒くなり、いつしか、
私の肌はアトピー性皮膚炎から脱出

私には陽に当たる事と潮風が体質的に良かったようだけど、幼馴染は治らなかった。

今でも疲れると体中にぶつぶつと赤い発疹がでる。

帯状疱疹もやった。

小さい時に近所のお兄さんから、小さい子は大きい子が守る。を教わったからか、
無鉄砲な私は自分が「大きい子」になった時に、無鉄砲を卒業して、一歩引くという事を覚え、目立つな、が縛りになった。

それが、また、いじめになった
何を考えてるのかわからない
いい子ぶってる

そんな言葉を耳にした

ずっとずっと、目立たないようにしてきた。
ずっとずっと、おとなしくしてきた

何十年も…

だけど、流れが変わった!

人前に立つ事になったのだ

きっかけは詩の朗読

参加しませんか?と誘われたのだ。

できる訳ない
人前でなんて…

そう思いながらも
それでいいの?
後悔しない?

ふらふらと「頭」が揺れた

失敗してもいいじゃん。
だめだったら
次から出なきゃいい。

思わぬところで私の心に火がついた

段々と面白くなってきたのだ
子供の頃の無鉄砲が
ひょっこり顔出した瞬間だった

朗読が楽しくなり、
配信まで始めてしまった。

誰も聞いてくれなくてもいい。

この朗読は
私が楽しいからやっている

誰かがふらりとやってきて
変な詩を読んでると笑ってくれてもいい

無鉄砲な私が読む詩は
無鉄砲だけど
誰かの心に優しく語りかけるものだから

無鉄砲を思い出した私は
無鉄砲だった私にいう
やっと思い出したよ。
無鉄砲もたまには良いよねと…

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