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アートが生み出される源泉って何なのか

ずっとこの記事を綴りたいと思いながら、しばらく時間が経ってしまいました。

自分の中で考えを練っていたり、経験と出会いについて反芻したり…。

そして一周回って、きっとどこで誰と一緒にいても、何をしていても普遍的なことが”ここ”にはある、ってことがわかった気がしたので文章にすることにします。

タイトルは、『アート作品が生み出される源泉って何なのか』というものですが、私にとってそもそも、”アート”という言葉の定義がしっかりできていません。

一つの作品を通して、それを鑑賞する人の内側に何か沸き起こる情感があるものを「アート」と呼ぶとするのなら。

ただの落書きや純粋な楽しみとして作られたものもまた、アートとして昇華されるのかもしれません。

私にとって、『アート』というものの定義があやふやではあるのですが、小さい頃から毎週日曜にはいろんな美術館やギャラリーや博物館などを回覧するのが、私が育った実家のいわゆる”おでかけ”でした。

父が西陣織のデザインの仕事をしていたということもあって、様々な美術作品を見るということが当たり前の中で育ちました。

いろんな作品を見た中で、他のものとはちょっと違うという感覚を持って、私の中に純粋なエネルギーとして流れ込んでくる作品が、
いわゆる”エイブルアート”と名付けられたジャンルのものでした。

それは、知的障がいや精神障がいなどを持った人たちが作られた作品たちのこと。

忘れもしない、ある日曜日のこと、いつものように父と母と一つ年上の姉と一緒に連れ立って、お寺にとある作品を見にいく機会がありました。

そのお寺には、急性小児片麻痺を患ってなお、成長する過程で絵を描かれるようになった岩下哲士さんの作品が飾られていました。

普段、様々な作品を見慣れている(?)
私たちでしたが、その作品から受けた衝撃は今でも忘れられません。

まだ中学生の頃だったと思うのですが、作品を前にして、瑞々しい何かが自分の中に流れ込んでくるような感覚がありました。

そして、一番驚いたのが、いつも作品を前に色々と批評などをする父が、なんと涙を流していたことでした。

一言、「感動した」とだけ言いながら。

👇こちら会場で出会った作品の一部も掲載されているので、よろしければご参照ください。

これは私が、”エイブルアート”に出会ったときの話です。



そして、2023年9月の末、阪急梅田本店さんへ足を運びました。

阪急さんといえば、関西で指折りの老舗のデパートさんです。

そんなデパートの中に居ながらにして、目に飛び込んできた赤のパネルと作品たち。


Atlier Yamanami Exbition


やまなみ工房といえば、滋賀県の福祉施設で通所者さんたちのアート作品が素晴らしく、何度か展示会にも足を運んだことがありました。

思わず、足を止めて作品を拝見していたのですが、やっぱり素晴らしくて、うーんと唸っておりました。


陶芸の作品もありました


いわゆる、”エイブルアート”の個展がデパートで行われていることがすごく衝撃だったのですが、その催事場所に何と、やまなみ工房の職員さんもいらっしゃっていましたので、ずっと疑問に思っていたことを尋ねて見ることにしたのです。



「いわゆる、通所者の皆さんは知的障がいを持って生まれた方達だと思うのですが、皆さんがこれらのような素晴らしいアート作品を生み出されるために、
介助者の皆さんはどんな指導をされているのですか?」

私がそう尋ねると、

「私たちがやっているのは、指導というようなものではなくて、
ただ通所者さんがその日一日を安心安全に、”楽しかった”と感じながら過ごしていただけるための場所を作っているだけです」

という答えが返ってきました。

もちろんのことながら、その日作品に向かえる方ばかりではなく、何ヶ月も何年もそこにいてただ1日を過ごしているだけの方も含めて、その人が安心してそこにいられることだけに心を寄せて空間を提供されていて、
もちろん、作品にその方のエネルギーを注いでもらいたいと周囲がいくら思ったところで、思い通りにすることなんてできなくて、
ただ待ち続け、その方の情熱が湧き出た時にその情熱を傾ける受け皿を提供するということなのだそうです。

それは、私にはある種、宗教的な行為のように見えたりもします。

命の尊厳が守られ、その人の存在をそのまま丸ごと肯定し、
その方の情熱の発露を信じ続けるのは、
祈りにも似たあり方のように思えるのです。

そんな風に、命の尊厳が守られた場所で、誰に忖度するでもなく、
ただ自分自身の喜びのために、作品を見て喜ぶ大切な人のためにと、
生み出されるものに宿る純粋なエネルギーが私たちの胸を打つのだろうと思いました。

巷にはたくさんの作品たちがひしめきあっていますし、私自身もものを作る仕事に従事しています。

けれど、やはり好きな作品とそうでないものとに分かれるのですが、
私自身はテクニック云々以上に、その中にある生命力や純粋さに目を奪われることが多い気がします。

贅沢なことなのですが、ただ、美しいだけでは何かが足りない気もします。

タイトルにも使った、アートという言葉の定義はやっぱり私にはわからないのですが、アートが生み出される源泉の中に、その人の命そのものでもある「生きることを肯定するパワー」がこもっているのだと思えてくるのです。


アートを生み出す工程そのものが、その人の生きた軌跡そのものであるということ。それはきっと、間違いのないこと。

そして、人はその人の内側にある命の源泉そのものをアートにこめることで、人の心をうつ作品へと昇華させることができるのでしょう。

いつか私もそんな風に、人の命の源泉に触れる何かを生み出せるようになりたいと憧れを抱きながら、素晴らしいアート作品の数々を眺めます。


以下、パネル文章からの抜粋。

作品がいつ完成するのか、それは彼ら自身にもわからない。

作品が誰にどのように評価されるのか、彼らはまるで関心がない。
ただ衝動のままに創作し続ける彼らの姿がそこにあるだけ。


そんな、生き様やあり方そのものに憧れしかありません。


フランスからスペインに抜けて進む、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼旅へいつか出たいと思っています。いただいたサポートは旅の足しにさせていただきます。何か響くものがありましたらサポートお願いします♪