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それは、アナタのステータスではない。

少し抽象的な話をする。

決して褒められたテーマではないから、朝になったら、消すかもしれない。

昔、ちょっと良い感じだった男の子が、とある分野で、とある功績を残したらしい。

彼とは特段、付き合ってはいなかった。

ただ、互いに「プチ両思い」の日々がちょっと続き、そして流されるまま互いに仕事が多忙になり、そして自然に終わった。

そんな話は、大人になれば石ころのように転がっている。

私は、”彼の才能”は好きだったが、その後「良い思い出の1ページ」として記憶に格納していた。

時々、脳内のファイルから取り出して「やっぱ、あいつの思考は天才だったな」と思い返すことはあったけれど、それだけだった。

ところが、その男が「世間でよい功績を残した」と風の噂で聞いた時、私の考えは一変した。

「それみたことか、世間よ」と鼻の穴を膨らませながら誇らしい気持ちになり、自分の心の内側に、えげつない感情が芽生えていることに気がついた。

それは、「彼の功績を自分のステータスだと思いたい」感情が自分の中に湧き出してしまっているということだ。

社会的に認められた”あの男”。

その男と、自分は、わずかなひととき関わっていた。

あの男の才能は、自分が関わってたからこそ生まれたものであり、自分もまた、世間で評価されるに相応しい。

要約すると、このような感情である。

真っ白な空間から作品を生み出し、なんの保証もないアイディアを大切にクリエイトし、勝負に出たのは、他でもない彼である。

寝る間を惜しみ、創作に生活を費やしたかもしれない。

苦しみながら創作を辞めなかったのは、彼自身の努力である。

それに私は一切、関与していない。

その時、私自身は何をしていたんだろうか。

寝ていたかもしれないし、スマホをいじっていたかもしれない。

鼻をほじっていただけかもしれない。

それなのに私は、その彼の功績を、横取りしたい気持ちに襲われたのだ。

「彼が成功者になった」と小耳に挟んだだけで、私は浮かれた。

これまでの自分を振り返り、周囲の女性を見てみても、「彼氏のステータスマウンティング」は頻発しているように感じる。

「私の彼氏って、◯◯って会社で働いててね」

社会的に成功している自営業の男性やビジネスマン、よくお金を持っている男性から、女性が見初められていることは、素晴らしいことだ。

それに値する努力を、女性側もしているのだろう。

私の友人でも外見をよく磨き、よいビジュアルをキープしており、そして社会的地位の高い男性を捕獲している子は沢山いる。

それは、本当に素晴らしい。彼女たちは往々にして純粋な存在である。

人にも優しい。ただ、ひとつだけ考えてみてほしい。

それは、あなたのステータスではない。

自分の才能を見失った時や限界を感じた時、人はパートナーや配偶者のステータスに自分の野望を投影してしまうのかもしれない。

自分は何者でもないけれど、自分の恋人はこんなにも凄い人なんだ、と。

この思考は、特定の誰かをディスりたいわけではない。

むしろ、自分自身にこそ自戒を込めて、したためている。

文字通り、裸になって、書いている。

その「悪い感情」と向き合い私は、”自分”はどうしたいのだろうと考えた。

その結果、誰といても私は「自分のステータス」を向上させていきたい、という結論にたどり着いた。

私は、私自身のステータスで他人と張り合える人間になりたいと。

本当は、ずっと、夢見てた。

いつか白馬に乗ったゴールドマン・サックスの1億円プレーヤーか、IT系の社長か著名な人物か、スポーツ選手が私を迎えにきてくれるのではないか、と。

それでいつか結婚して、その人の苗字になってから、友達や周囲から

「彼、何してる人なの?」

と聞かれたとき、よいスペックであることを力の限り自慢したかった。

そんな日々の私よ、さようなら。

自分が、なんとか、なれますように。

他人じゃなくて。

だって、自分の人生だから。



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