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こんな日が来るなんてね。

自分という人間は、あまり他人の幸せを喜べないタイプなのだと思い込んでいた。

しかし、近頃そうでもない。

きちんと他人の幸せを喜べる。

なぜそう思ったのかというと、とても奇妙な話だが、先日の朝歩いていて、とても気持ちのいい風が吹いてきたからである。

その風が、 とにかく気持ち良かった。

ただ、それだけのことで、そう思った。

その瞬間、アレ?本当は私、随分前から人の幸せを喜べていたかもと、なんとなく思い直した。

いや。風とか、言っちゃって。

もっと具体的なエピソードを下さい、と思われる方もいると思う。

自分でも、そう思う。

しかし、その日、そのタイミングで吹いてきた風に、私はただ心が救われた。

そして、それで良い気がした。

人間というのは案外、愛を持って生きていける生き物なのもしれないと思えた。

ただ、それだけで良い気がした。

元気になることに大きなきっかけもなければ、ドラマティカルで、劇的にキャッチーなエピソードもいらないのかもしれない。

ただ普通に気持ちがいい風とか光とか、いい感じの公園の木とか、街ですれ違った赤ちゃんとか、道で手を繋いでる素敵な老夫婦とか、仕事ができる近所のファミレスのバイトさんとか、そういう人や自然に、ただ救われることもある気がする。

とはいえ、正直に言えば私も、風が気持ちいいと思った次の瞬間には、「きっとまた辛い夜もあるんだろうな」と思った。

またしても、「とはいえ」という便利な言葉で、ネガティブになる自分に嫌気がさした。

折角ひとつの風によって幸せな気持ちで満たされたのに、たった3秒も平和が保たれないなんて、なんだかなぁと思った。

でも私は、それでも、あの朝、あの気持ちのいい風を3秒感じるためだけに、この冬を生き延びた気がした。

この風を感じるまでにしぬほど辛かったけど、「はい。もう苦しい時期はおしまい」と、そこで自分で決めた。

自分で決めることが、大切だと思った。

もしかしたら幸せというのは、掴みかけたその瞬間から、あっけなく消えていくものなのかもしれない。

でも、それで良いんだと思う。

それが正常なんだと思う。

全ての出来事は、いいこともわるいことも、形を変えて過ぎ去っていくのだと思う。

簡単に全てが過去になる。

それでも私は、再びある日、突然やってくるであろう、あの気持ちのいい風に向けて、気合いを入れて生きていきたい。



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